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キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(39)—

野澤 睦雄


「もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。主の群れが、とりこになるからだ。」(エレミヤ書 13:17 )

2.各論
(5)高ぶり < 5 >
  ユダの二人の王について触れましたが、イスラエル王も、ユダの王も高ぶりがついてまわって、そうでない王を探すのが困難です。王という地位は、人を高ぶらせるものだと断定できそうです。
 ソロモンの子はレハブアム、その子がアビヤ、その子がアサです。アサ王は、大変よく主に仕えました。「アサは、彼の神、主がよいと見られること、御目にかなうことを行い、異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわした。それから、ユダに命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行わせた。さらに、彼はユダのすべての町々から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼の前に平安を保った。」(歴代誌Ⅱ 14:2-5)彼の治世の第10年に、大きな戦争がおこりました。「クシュ人ゼラフが、百万の軍勢と三百台の戦車を率いて、彼らに向かって出陣し、マレシャにまで寄せて来た。そこで、アサは彼に対抗して出陣し、マレシャにあるツェファテの谷で戦いの備えをした。」(歴代誌Ⅱ 14:9-10)
クシュはエチオピアで、エジプトの南側にあります。エジプトを傘下に収めたということでしょう。エジプト人は優秀な戦車を造る技術をもっていました。ですからソロモンもエジプトから戦車を買っていました。その時アサは主に寄り頼みました。
アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」(歴代誌Ⅱ 14:11)彼の祈りは応えられて、
「主はアサの前とユダの前に、クシュ人を打ち破られたので、クシュ人は逃げ去った。」(歴代誌Ⅱ 14:12)
こうして彼は勝利を得、彼の治世の第35年までユダ王国は平安でした。
第36年に北王国イスラエルの王バシャがユダに侵入してきました。このときアサは、主に頼らずダマスコのアラムの王と同盟を結んで対処しようとしました。
「そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。・・・あのクシュ人とルブ人は大軍勢ではなかったでしょうか。戦車と騎兵は非常におびただしかったではありませんか。しかし、あなたが主に拠り頼んだとき、主は彼らをあなたの手に渡されたのです。」(歴代誌Ⅱ 16:7-8)
彼はこの忠告を聞き入れることができず、預言者ハナニに足かせをかけました。そのほか民のあるものを踏みにじった、と書かれています。彼の人生の終わりに病気になりましたが、その時もへりくだって主に寄り頼むことができませんでした。

 ダビデの王朝は、アサ-ヨシャパテーヨラム-アハズヤ-ヨアシュ-アマツヤ-ウジヤ-ヨタム-アハズ-ヒゼキヤと続きます。
 ヒゼキヤは主によく仕え、アッシリヤが攻めてきたとき、預言者イザヤの助けを得て、神により頼んでこれを撃退することができた人物でした。けれどもその終わりにこう記されています。
「バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。ヒゼキヤのその他の業績、その忠実な行いは、アモツの子預言者イザヤの幻、すなわちユダとイスラエルの王たちの書に、まさしくしるされている。」(歴代誌Ⅱ 32:31-32 )

 ヒゼキヤの子マナセはユダに滅びをもたらした悪王でした。
「彼は、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねて、主の目の前に悪を行った。彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。彼は、主がかつて、「エルサレムにわたしの名を置く」と言われた主の宮に、祭壇を築いたのである。こうして、彼は、主の宮の二つの庭に、天の万象のために祭壇を築いた。また、自分の子どもに火の中をくぐらせ、卜占をし、まじないをし、霊媒や口寄せをして、主の目の前に悪を行い、主の怒りを引き起こした。主はマナセとその民に語られたが、彼らは聞こうともしなかった。」(歴代誌Ⅱ 33:2-10)
しかし、彼の終わりについてはこう記されています。
「そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。・・・ さらに、彼は主の宮から外国の神々と偶像、および、彼が主の宮のある山とエルサレムに築いたすべての祭壇を取り除いて、町の外に投げ捨てた。そして、主の祭壇を築き、その上で和解のいけにえと感謝のいけにえをささげ、ユダに命じてイスラエルの神、主に仕えさせた。」(歴代誌Ⅱ 33:11-16)
 ダビデの王朝の最悪王と定評のあるマナセですが、高ぶりをすて、神の前にへりくだってその終わりをよいものとしたのです。

(仙台聖泉キリスト教会員)