同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 未 来 —

森田 心


「しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。」(出エジプト記 17:12) 

 聖日、礼拝の前に教会学校の時間があり、私は成人科クラスの山田大兄の学びに参加しています。学びの概要は、一年を通して旧約から新約へと学んでいきます。そこに幾つかの流れのポイントを捉えて時には深く、又神の御計画の大きな流れのような事を教えて下さっています。教会に来て数年の方から信仰生活の長い方々まで沢山の方が参加されている中で、兄弟の握りしめてきた大切な信仰の歩みも交えながら学びが続けられています。
 その学びの中で私の心にとどまったことがあります。それは神がモーセを選び、出エジプトしたイスラエルの民が約束の地カナンへと導かれていく場面です。今まで聖書を読み、教えを受けた中で、この所もはじめて知り感じた所ではありませんが、兄弟を通して神の御旨の長い時をどう信じて生きるかの大切さを教えられました。出エジプトした民は約束の地に心おどらせたことでしょう。しかし神への不従順の故に40年の荒野での生涯を生きることになり、荒野で生涯を終えることになりました。そして次の世代は約束の地カナンへ入っていきますが、ただその地をいただいたのではなく、戦い抜いて勝ち取っていくことが、その世代に与えられました。
 私も、救いをいただき、この年で38年になります。自らの弱さの故に、神の与えて下さった道の厳しさに心が折れることが幾度もありました。しかし、もし神の道を歩むことが出来なかったらと思い返すなら、なんと幸いな細き道を私に与えて下さったのだと心から恵みに感謝があふれます。
 約束の地を仰ぎ見て、生涯を終えた者達も、その者に神が与えて下さった道であり、次の世代、又次の世代へ信仰の道をつないで行く為に私達を生かし導いて下さっていることを思います。
 今私達の教会は未来に向かって皆で一つの光を勝ち取らせていただこうとしています。祈りと願いの中に、すぐ事が動いていくことではなく、先の時を待つことではありますが、その中で、この流れる時の中に神が私達の教会への成長の時にして下さっているように感じます。大きな喜びは次の世代、若い方々が未来への信仰を形作ろうと、強いられてではなく動きはじめていることです。
これからの日々の歩みも一つ一つの前にある苦難が消えてなくなってしまうわけではありませんが、私達の生涯は神の御計画の道を信じて歩むこと、喜びと感謝をもって。

(仙台聖泉キリスト教会会員)