同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 読むとお祈りがしたくなる本 —


  皆さんは自分個人の祈りの時をもっておられるでしょうか。そしてそれをどのように営んでおられるでしょうか。
 恐らくまず聖書を読むでしょう。周囲を気にする必要のないところでその時がもてるなら、讃美することもできるでしょう。讃美することは祈りのよい導入方法です。
 聖書の他に、祈りの友とする本もあります。定評があるのは、カウマン夫人の「荒野の泉」、ジョウエットの「日々の霊想」、スポルジョンの「朝ごとに」「夕ごとに」などです。アンドリュー・マーレーの祈りの本を用いる方もあるでしょう。

 今回皆さんに、バウンズの「祈りによる力」をご紹介しましょう。バウンズは説教者に向かって語っていますが、信者にもあてはまります。「説教」ということばを「話す、語る、会話」と置き換え、「説教者」を「語る人」と置き換えます。そして、自分がその語る人です。

「私たちはいつでも、教会を発展させ、福音の拡大と効果とを確実にするための新しい方法・新しい計画・新しい組織などを考えだすために、一生懸命になっています。
・・・しかし、神は、他の何にもまさって個人を重要視するのです。
個人をお用いになること、これこそが神の選びたもう方法なのです。
教会は、もっとよい方法はないかと求めていますが、神はさらにすぐれた人を求めておられます。
・・・いま教会が必要としているのは、もっとよい機械・機具でも、新しい組織でも、あるいはもっと多くの新奇な方法でもなく、聖霊が用いたもうことのできる人、すなわち、祈りの人、祈りにおいて力ある人なのです。聖霊は、方法を通してではなく、ただ人を通してのみあふれ注がれるのです。聖霊は計画などではなく、ただ人・・・祈りの人の上にだけその力をお与えになるのです。」

「聞く人にいのちを与える説教をするために、説教者は大きな犠牲を払わなければなりません。すなわち、自己に死に、世に対して十字架につけられ、自分のたましいに産みの苦しみを味わわなければならないのです。十字架につけられた説教だけが、聞く人にいのちを与えます。そして十字架につけられた説教は、ただ十字架につけられた人の口からだけ語られるのです。」

  「神に、偉大なる神に、全世界の造り主に、すべての人のさばき主なるお方に祈るとき、心の奥底でいかに敬虔にいかに単純にいかに純粋にいかに誠実にならなければならないことでしょう。私たちはどんなにか真実に、どんなにか心をこめて祈らなければならないことでしょうか。神への祈りこそ、最も尊い奉仕であり、人間の最も高尚な努力であり、最も真実なことです。・・・天地を圧倒する最も偉大な力をもたらし、人の乏しさと貧しさを満たすために、神の無尽蔵な宝を引き出す真の祈りに打ち込み、いのちを与える説教を行うことはできないのでしょうか。」

 「神のために人々と語ることはすばらしいことです。しかし、人々のために神と語ることはさらにすばらしいことなのです。」

 「神のために大きな結果を得る説教者は、人々に訴えようとする前に、まず神に願い求めることに勝利を得た人です。その祈りの部屋での神との交わりにおいて最も力強い人だけが、講壇で人に対して語るとき最も力ある人なのです。・・・
祈りとは人をへりくだらせる働きです。それは人の知識や誇りを卑しめ、うぬぼれを十字架につけ、私たちが霊的に破産しているものであることをはっきりと証明します。そしてこのようなことは人間には耐えがたいことです。・・・
私たちが祈りを、たいして重く見ていないということは、私たちがそのためにわずかしか時間を費やしていないことから明らかです。・・・
説教者はただ説教することを命じられているだけでなく、祈ることも命じられています。」

 「本当に祈る説教者は、その働きの中に神ご自身を迎え入れるのです。神は説教者が奉仕さえすれば当然のこととして、また通例のこととして、ご臨在くださるわけではありません。そうではなく、主は祈りにより、特にしつこく求めることによってはじめて臨在を示してくださるのです。私たちが心の底から主をたずね求めるときにだけ、神を見出せるということは、罪を悔いた罪びとにとって真実であるのと同様に、説教者の場合でも真実なのです。祈りをこめた奉仕のみが、説教者と聴衆とが同じ情をもつことができるようにするのです。祈りは私たちを神と一つとするとともに、人間同士も本質的に一つにするのです。・・・神のほんとうの説教者は、一つの重要な点で他の人と違っていました。すなわち、彼は祈りの人だったのです。
・・・多くの個人的祈りは、その性質上短くなければなりませんし、また公の集会のための祈りも、普通短く簡潔なものであるべきです。・・・
しかし一方、私たちが個人的に神と交わるときには、時間の長短がその価値を決定します。神との交わりに、多くの時間を費やすことが、祈りにおいて成功する秘訣なのです。」

 「祈り、ただ祈りによってのみ、説教のための油注ぎを受けることができます。祈り、ただ多くの祈りによってのみ、この油注ぎの恵みを持ちつづけることができるのです。」 「いますべての聖徒たちに祈りなさいと呼びかける声こそ、御霊の最も声高くそして差し迫った招きの声なのです。」

(E.M.バウンズ、「祈りによる力」、羽鳥純二訳、いのちのことば社、1994から抜粋引用)