同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 主と共に歩む —

石井 ミワ

「なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。」(詩篇84:5〜6)

 この年も御言葉が与えられ、神と共に歩むことができる幸いを覚え、感謝しております。
ここのところ、なかなか思うようにならないこと、頑張ってはいるけれども結果は微妙ということが続き、若干疲れを覚えていました。
自分にできることは何だろうか、このまま行っていいのだろうか、という問いかけを自分でしながら、結果を急がなければと思い、どちらを向いたら良いのかわからなくなってしまっていたように思います。
そんな中、牧師に相談する機会が与えられ、自らの思いを聞いていただきました。
先生から、一つ一つ解き明かすように教えていただく中で、私自身が行くべき道を見せていただいて、やはり信じて与えられた道にしっかりと踏み出していこうと決意を新たにしました。
先日の祈祷会の中で、神がモーセに「パロのところに行ってイスラエルを去らせるように告げよ」と語られる場面が開かれました。
モーセはその時起こっている現実を見て「無理です」と言いましたが、神は起こっている現実のはるか先に、大きな祝福を置いてくださっていました。
先生からは「神の業を知っていれば、その先を見出すことができる」「神の御業の中に生きるなら、それは成る」と語られました。
聖書には、モーセにとって御旨を歩んだ道の全てが喜ばしいことではなく、約束の地に入るために、悲しみの中も苦しみの中も多く通ったことが書かれていますが、しかし、最期の時まで主に従って生き抜いたこと、最後にイスラエルのそれぞれの部族を豊かに祝福したことが記されています。
私も主が共に歩んでくださっていることを信じて、時を待ちながら、神の御業の中を教会の愛する兄弟姉妹と共に歩む者でありたいと願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)