同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖書信仰-9 —

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテⅡ 3:14-17)

 戒めについて考察しています。それで、次に神に戒められたけれども守らなかった人の実例を挙げてみましょう。
 ダビデの子ソロモンは、ダビデが願ったけれども神に許されなかった神殿の建設をしました。神殿の奉献の祈りを彼が捧げたとき、天から火が降って祭壇の捧げ物を焼き尽くした、そういうことがあった人でした。神に何を与えようか願えと言われ、民を治めるために知恵を下さいと願って、神がその願いを喜ばれました。
 しかし、彼は諸外国との平和のために「世の習わし」を採用しました。つまり、外国の王たちの娘を自分の配偶者に迎えたのです。
「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。」
(列王記Ⅰ 11:1-10)

 神はソロモンに、あなたは、王だから特別に外国の女を娶ってよいとか、平和のためだから娶ってよいとは言われませんでした。ソロモンに対しても、一般の人々と同様に「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたのでした。
神は通常預言者を使わされるのに、ソロモンに対しては、ご自身が彼に二度も現れてそうしてはならないと戒められました。けれどもソロモンは神の戒めに従いませんでした。その上王たちの婚姻関係がもたらす国と国との関係はほんの一時のことであって、両国の平和には役に立たないことは歴史が証明しています。
 ソロモンの罪は、彼の子孫にも彼の治めていた民と王国にも甚大な損失を招きました。

 後の世代の人々はソロモンの行ったことをこのように捉えていました。
「あなたがたの娘を彼らの息子にとつがせてはならない。また、あなたがたの息子、あるいは、あなたがた自身が、彼らの娘をめとってはならない。イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。多くの国々のうちで彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、外国の女たちが彼に罪を犯させてしまった。」
(ネヘミヤ記 13:25-26 )

 前回も載せましたが、 詩篇119篇に、神の戒めを慕い、それを守る者の幸いが歌われています。

主よ。あなたは、ほむべき方。
あなたのおきてを私に教えてください。
私は、このくちびるで、あなたの御口
の決めたことをことごとく語り告げます。
私は、あなたのさとしの道を、
どんな宝よりも、楽しんでいます。
私は、あなたの戒めに思いを潜め、
あなたの道に私の目を留めます。
私は、あなたのおきてを喜びとし、
あなたのことばを忘れません。
(詩篇119:12-16)

 神の戒めに従って生きるものでありましょう。