同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

 - 特別賛美集会の司会をさせて頂いて -

齊藤 遥

  「涙とともに種を蒔くものは、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰ってくる。」(詩篇126:5-6)  

 この年も早半年が経とうとする頃、時の早さを感じるとともに、変わらずにこのところまで守り導かれたことに日々感謝を覚えます。
そのような中、最近私に思いがけないことがありました。それは山本盡子先生から「特別讃美のご用をしてみませんか?」というお話があったことでした。
私にとってはとても喜ばしいことでしたが、礼拝プログラムのひとつである特別讃美は神様に心よりの讃美のささげものとして捉えていたので私が務まるのかという心配もありました。
というのも、私は物心ついた時から劣等感の強い者で、人前に立つと極度に緊張してしまい話すことも讃美する事もとても苦手でした。
苦手ゆえに自分に自信も無かったので何をするにも上手くいかず、生きている意味さえも見出せない者でした。
しかし、そのような私をも神様は多くの人々を通して愛してくださり、教会生活を通して自らの罪に気づかされ、悔い改めを持ってイエス・キリストの十字架を信じ、救いの恵みにあずかりました。心から神様を信じ、ゆだねる人生へと変えられてから今日まで劣等感と言うものが少しずつ取り除かれるとともに神様と生きる喜びが与えられました。
そのような私にとって特別讃美という御用は、神様に心よりの讃美を御捧げできることとして大変喜ばしいことでしたが、人前で大きい声で讃美するという事は課題でした。しかし、私に与えられた2人の子どもたちの信仰の育みの為にも取り組まさせて頂こうと決意しました。
そして、実際に讃美させていただいた時に、昔の自分では考えられない程の感謝と喜びに満たされた讃美をおささげすることができました。
それは私の持っている課題を捉えて支えてくださった先生方や共に讃美してくださった姉妹のおかげで感謝を覚えて讃美をすることができました。
子どもたちにはどのように映ったかわかりませんが、私は信じて、これからも子供たちの救いの為に神に仕える姿を表していきます。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)