同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— ヤコブの石 —


「ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。・・・」(創世記 28:10-22)

 兄エサウの復讐を恐れて、母親の実家のあるアラムのハランに逃げていったヤコブでしたが、彼は夢で神にお会いして三つのことをいいました。
・主がこの所におられる。
・こここそ神の家にほかならない。
・ここは天の門だ。
「翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。・・・石の柱として立てたこの石は神の家となり・・・」 (創世記 28:10-22)

「(イエスはナタナエルに)言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」」(ヨハネ 1:51)
神の御使いたちが上り下りする、という記事はヤコブの時にしかでていませんから、イエスはきっとヤコブのことを引用したのでしょう。それは「天の門」であるご自分のことです。
「イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。 この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」」(ルカ 20:17-18)
 前半、礎の石はその上に神の家が建てられることですから、「神の家にほかならない」が実現しています。

 イエスはこの石は、それに打ち当たるものを粉砕してしまうことを付け加えました。
打ち当たるものを粉砕する石は、バビロンのネブカデネザル王の見た夢にでてきます。
「王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。 その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」(ダニエル書 2:31-35)
 この夢の解説も一緒に記されましたから、引用しておきましょう。

「王さま・・・あなたはあの金の頭です。 あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。 鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」(ダニエル書 2:36-45)

 時が経過し、今の私たちにはその意味が分かります。金の頭はバビロニア、銀の胸はメデアとペルシャ、青銅の腹とももはギリシャ、鉄のすねはローマで、鉄と粘土の足の部分は今もつづいていることになります。
 この時代に「人手によらず切り出された石」はキリストで、「キリストの王国」が全地に広まりました。
しかし「打ち当たるものを全部粉砕して」しまうのは、キリストのご再臨のあとかも知れません。