同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— ヘロデに殺された男の子たち —


「その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」(マタイ5:6-7)(エレミヤ書 31:15)

このマタイの記述を読んで、これはどういうこと?と思いませんか。
 歴史をさかのぼると、
「彼らがベテルを旅立って、エフラテまで行くにはまだかなりの道のりがあるとき、ラケルは産気づいて、ひどい陣痛で苦しんだ。 彼女がひどい陣痛で苦しんでいるとき、助産婦は彼女に、「心配なさるな。今度も男のお子さんです」と告げた。彼女が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた。ヤコブは彼女の墓の上に石の柱を立てた。それはラケルの墓の石の柱として今日に至っている。」(創世記 35:16-20)
ラケルはベツレヘムの近くまでいって死にそこに葬られました。ラケルの墓のある地は、ヨシュアが各部族に分けた相続の地としてベニヤミン族のものとなりました。エルサレムはユダ族とベニヤミン族の地の境界近くにあります。それでイエスを殺そうとしたヘロデが殺した男の子たちはベニヤミン族であって、エレミヤの予言が成就した、とマタイが書いたのです。
 ラマはベニヤミン族の主要な町で、サムエルがいました。ラマという町は他にもあるようですが。 士師記の最後に書かれている記事の場所ギブアもこの近くです。ギブアは後にサウルのいた町でラマの近くにあります。連れの若い者はエブス人の町エルサレに泊まりましょうといったのですが、このレビ人は異邦人のところには泊まらないといって、ベニヤミンのギブアで泊まろうとしました。エフライムの出の親切な老人がいて彼らを泊めてくれましたが、そのあたりのベニヤミン人はエブス人よりも悪く、ソドムの人々がロトの家に押しかけてしようとしたしたことを彼らもおこないました。つまりソドムと同じでした。あやうくベニヤミンは絶えるところで、恐ろしく、悲しいできごとでした。 聖書はこの地の出来事をこのように告げています。
 エジプトでパロがしたことをヘロデがしたのでした。
 ヘロデは救い主を殺そうとしましたが、パロはイスラエル民族を絶やし、救い主の到来を妨げようとした、
アタルヤがダビデの子孫を全部殺そうとした(列王記Ⅱ 11:1)
ことも同様、と考える人々もいます。背後にサタンがいて。