同労者

キリスト教—信徒の志す—

賛美歌物語


— 聖歌112番「主なる神を」 —


     作詞;不明
     作曲;フェリス・デ・ギアルディニ(1716~1796)
     引照;「門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。
         栄光の王がはいって来られる。その栄光の王とはだれか。
         万軍の主。これぞ、栄光の王。」(詩篇 24:9-10)

<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:賛美歌物語:
(これは、101 HYMN STORY by Kenneth W. Osbeck(KREGEL) の中から、有名な賛美歌を選んで、適宜、翻訳し、週報に連載したものです。)から許可をえて転載。

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      これは、開会の賛美歌としてとても有名な賛美歌のひとつです。しかし、その背景については、ほとんど知られていない。1715年の三位一体を記念する日曜日に、英国ロンドンにおいて匿名で発表された。英国の国家賛美歌「神は、我らの慈悲深い王を救われる」が一般に歌われるようになるより、15年前のことであった。これら二つの賛美歌は、ある期間、同じメロディで歌われてきた。しかし、今日、アメリカでは、アメリカの国歌賛美歌には、「アメリカ」という曲がもっぱら使われている。そのことは、新しい詞が、王室賛美歌に代わるものとして、また、王室への反逆行為として作られたことを示唆している。そのため、作者は、匿名のまま、今日に至っている。他の研究者の中には、この詞は、初期の詞の続編として作られたと感じている人もいる。すなわち、一方は、地上の支配者のための祈りとして、他方は、天上の王に対する祈りとして作られたと・・。
     ジョン・ウェスレイが発行した1757年のパンフレットに最初に登場するところから、「主なる神を」は、しばしば、チャールズ・ウェスレイの作であるとされてきた。しかし、多くの賛美歌研究者は、この賛美歌が、ウェスレイの作品であるはずがないと論じる。なぜなら、この詞の持つ奇妙な韻律を、ウェスレイは決して使わなかったことが知られているからです。
     独立戦争が行われていた時代、この賛美歌の使用法について、興味深い報告が語られている。ある日曜日の朝、イギリス軍の一隊が、あるアメリカの教会の礼拝を襲い、会衆に、「神は、我らの慈悲深い王を救われる」を歌えと要求した。人々は、曲のリクエストには応じたが、歌った歌詞は「主なる神を」であった。  これは、常に、四節全部を歌うべき賛美歌です。最初の三節のうちのどれかを省略して歌うとすれば、三位一体の神のご人格のひとつを軽視することになる。第四節は、神はひとりにして三つのご人格を持つという三位一体の教理を、壮大に宣言したものです。後に、A.W.トゥザーは、その著書(「聖なる神の知識」Haper and Row 1961)の中で、次のようなすぐれたことばを残した。
    『三位一体の教理は、・・・心に示される真理です。三位一体の教理について、納得のいく説明をすることもできないが、反対することもできないという事実が、その強みだ。そのような真理が啓示された;誰も、その教えを創り出すことはできなかった。』
     この曲は、1769年、フェリーチェ・デ・ギアルディニによって、この作者不明の詩のために作曲された。このイタリア人の作曲家は、1716年4月12日に、イタリアのトリノに生まれた。彼は、ロンドンに移住し、そこで、ロンドンオペラ界の有名なバイオリン奏者となった。後に、彼は、ロシアのモスクワで、オペラ指揮者として過ごし、1796年、その地で、死んだ。