同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(50) —

野澤 睦雄


「あなたがたは、あらゆる努力をして、・・・、知識には自制を、・・・加えなさい」(ペテロⅡ 1:4-8)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 <自分の建設>

 ペテロは知識に「自制」を加えなさいとすすめています。
 知識にはありとあらゆるものを知的に把握する意味があります。今まで学んできた事に加え、世の一般的な事柄に関する知識はもとより、自分は何者で、何に興味があり、何を好み、何を求め、持っている経験や技量、今の世の中での地位、名誉、富、家庭や交友関係や様々な環境等を把握していること、また事あたってどういう行動をするか、という自分のことから始まって自分の隣人についても同様な事柄を把握する点にあります。そしてそれらが神の前に、聖書の基準に照らしてどういうものであるかを考える必要があります、と考えていくといかに知識が足りないかわかってきます。その点については今まで学んできたことが基準になります。知識については終わりにして次の「自制」に進みましょう。
 自制は自分を制御するという意味です。
自制は自分の行動の関門であるといえるでしょう。自分の行動で制御が必要な事柄は「欲望」、「欲求」を満たす行動についてまずかんがえられます。 「欲望」ということばは、おおむね「好ましくない」ものを表しますが、「欲求」は善悪に関係なくすべての「求め」について使われます。生活の表現を衣食住といいますが、着るもの、食べるもの、住まい、とどれをとっても背後に欲求がついてまわります。それらに無頓着な人もいますし、強く意識して着飾りたいひともいます。ほどよく用いること、そこに自制が必要になってきます。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」(ペテロⅠ 3:3-4)
とペテロはすすめます。ペテロの勧めは、地上のもので自分を飾ろうと思わないで、霊のものをもって飾りなさい、と言うことです。
着飾りたいという欲求の強い人は、適度に着るということに自制が必要になります。
 自分の判断でなく、ほかの人によって、この人は柔和な人、謙遜な人と判断されることに勝る飾りはないのです。自分の持っている価値観と自分の行動に対する自制がそれを実現させるのです。

(仙台聖泉キリスト教会員)