賛美歌物語
— 聖歌96番「聖なるかな」 —
作詞;レジナルド・ヒーバー(1783-1826)
作曲;ジョン・B・ダイク(1823-1876)
曲名;「ニカイア」 引照;この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、 二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」」(黙示4:8-11)
<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:賛美歌物語:
(これは、101 HYMN STORY by Kenneth W. Osbeck(KREGEL) の中から、有名な賛美歌を選んで、適宜、翻訳し、週報に連載したものです。)から許可をえて転載。
「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。」(詩篇95:6-7)
レジナルド・ヒーバーは、1783年4月21日英国のチェシャー地方の学問のある裕福な両親のもとに生まれた。17歳の時、彼は、オックスフォード大学に入学し、そこで、彼の学識と文芸の才能は、非常に注目された。英国国教会の牧師として任命後の16年間、彼は、イングランド西部の小さな村ホーネットにある無名の教会に仕えた。牧師としての奉仕の始めから終わりまで、彼は、まれに見る上品で高潔な人格を持つクリスチャンとして尊敬され、知られていた。ヒーバーはまた、雑誌に詩やエッセイ、賛美歌などをしばしば投稿する多作な作家としても有名であった。
1823年、彼が43歳で夭逝する3年前、ヒーバーは、インドのカルカッタで司教として働くため遣わされた。この職責は、インドばかりでなくセイロン島や、オーストラリア全土にも及ぶものであった。この仕事の重圧と、この地方の湿潤な気候とが相まって、彼の健康をむしばんでいった。ある日曜日の朝、野外において、大勢のインド人の群衆に、カースト制度という悪習について語った後、彼は、明らかに日射病の症状を呈し、突然亡くなった。彼が夭折した一年後、残された夫人と、多くの友人たちによって、彼の作品から選び出された57篇をまとめた賛美歌集が出版された。その賛美歌の多くが、今なお使われている。
この賛美歌は、イースターの8週後にもたれる三位一体主日礼拝のために、特別にレジナルド・ヒーバーによって書かれたものです。この日曜礼拝の強調点は、三位一体の神の教理を再確認することです。「三位一体」という言葉は、聖書中には登場しないけれども、それぞれが、同等であり永遠である三つのご人格を持つ、唯一の神がおられるという真理は、明らかに、神の言葉である聖書全巻に教えられている。
レジナルド・ヒーバーはまた、聖歌527番「北はグリーンランドの」を書いた人でもある。
この詩につけられた曲は、「ニカイア」と呼ばれてきた。それは、紀元325年に小アジアのニカイアで開かれた教会会議にちなんでいる。そこで、三位一体の教理が審理され、キリスト者信仰にとって、真実で、本質的な教理であることが確認された。1861年、この詩のために、19世紀の英国において、教会音楽の第一人者であったジョン・バッカス・ダイクス博士によって、特別にこの曲が作曲された。この有名な作曲家は、300以上の賛美歌に寄与し、その多くが、今なお用いられている。
ジョン・B・ダイクスが作曲した他の賛美歌には、聖歌107番「神よわれらは」、聖歌242番「神はとこよの岩」、聖歌246番「みかみはかいぬし」、聖歌276番「さびしき夜道あゆむ」、聖歌284番「主イエスをおもうとき」、聖歌288番「みかみとともなる」などがある。