同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 創世記5章 —
<聖書を読みましょう>

「これはアダムの歴史の記録である。神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。」(創世記 5:1-4)

 「これはアダムの歴史の記録である。」
だれだれの「歴史」ということばは、だれだれの「伝記」という意味があります。ですから、その人物の先祖にはどんな人がいたか、両親はどういうひとで、どんな境遇に育ったか、どんな社会環境に生きたか、どんな業績を残したか、などということを発想しますが、聖書はその人物の後の子孫たちとその業績に言及するので興味がわきます。その子孫の業績がだれだれという人物の業績になります。
「これはノアの歴史である。」(6:9)
「これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。」(10:1)
「これはセムの歴史である。」(11:10)
「これはテラの歴史である。」(11:27)
「これはサラの女奴隷エジプト人ハガルがアブラハムに産んだアブラハムの子イシュマエルの歴史である。」(25:12) 「これはアブラハムの子イサクの歴史である。」(25:19)
「これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。」(36:1)
「これはヤコブの歴史である。」(37:2)

 ヤコブについて、長子の権を継いだヨセフについて書かれ、あとはもう「だれだれの歴史」と書かれているひとはいません。
神の救いの本流から外れた、イシュマエルとエサウは記されていますが、カインについては子孫の名は記されていますが、カインの歴史とは書かれませんでした。

「神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。」
 人は「神に似せて」「神は人をご自身のかたちとして創造された。」(創世記 1:27)のです。それは「霊」「魂」「からだ」からなる人間が、どの部分も神に似ていることでしょう。天で神にお会いするとき、人間と同じ姿の神にお会いできると期待されます。

 悲しいことに、アダムは子を生む前に罪を犯し、神のかたちを失いました。それは特に霊的な部分で、「死んだ」と表現されます。そしてその自分のかたちどおりの子孫を残しました。それこそが「アダムの歴史」です。
 創世記5章に記されている人々はみな高齢になるまで元気でたくさん子どもが生まれたので、人は地上にどんどん増え広がったことでしょう。

 その中で、二人の特別な人物がいます。
そのうちの一人はエノクです。カインの子孫、ミデヤン人、ルベンの子にも同名のひとがいますが創世記5章に記されているエノクです。

「エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」(創世記 5:21-24)
と書かれています。
 ヘブル人への手紙の記者はこう言います。「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」(ヘブル 11:5)
「アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。 すべての者にさばきを行い、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」(ユダ 1:14-15)

エノクは死なずに天国に迎え入れられたと理解されています。もう一人エリヤもそうでした。後にも先にも歴史上、この二人だけで、アブラハムやモーセ、ダビデなど、どんな偉大な人物も、「こうして彼は死んだ。」と記されています。

 もう一人の注目すべき人物はノアですが、ノアについては創世記6章から詳しく書かれています。