巻頭言
— 讃美とともに —
齋藤 優子
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ 16:33)
私は、この年も二つの仕事をさせて頂ながら働いて降ります。一つは主人と一緒に花屋の仕事をし、もうひとつは週に四日、仙台市水道局の総合案内と事務の仕事を午前と午後のシフトの中でさせて頂いています。
このことにおきましても私たちの必要のために神が用意して下さったものとして感謝し、日々の営みを乗り越えさせて頂いております。
そうこうしている内に花屋も11年目になり、水道局も7年目になりました。私自身も60歳を既に過ぎましたので、だんだんと疲れ方がすぐ回復するという訳にもいかず、少しずつ引きずってしまう年齢にもなってきました。
この年は、それに加え、水道局の案内の仕事に新しい方々(退職された方との交替で)fが加えられ、その方々の研修まかさえられてしまい、緊張と忙しい中を過ごしておりました。
その日も木曜日の夜の祈祷会があり、第一週は私の教会は、讃美のリクエストの集会で、個人個人がそのときのリクエストをさせて頂き、教会の皆さんで共に讃美をするという集会でした。
長男の娘も今年小学一年生になり、牧師先生に讃美のリクエストをしておりまして、とても嬉しく思っております。
その教会に行く車の中で私は主人に“今日はとても疲れすぎて、讃美する声が出ないかもしれない”と話しておりました。集会が始まり、リクエストが始まった時に讃美を心からさせて頂きたいと思うようになり、一生懸命讃美していくうちに、不思議と心がかるくなっていくのを感じました。
一日の重荷を神の前におろさせて頂ながら讃美の中にある神の証をしているように声を出して歌いました。集会が終わってから、気がついたのですが肉体の疲れ以上に、心の喜びが大きくてとても満たされた思いがありました。
帰りの車の中で主人に本当に疲れがとれて申t来駕軽くなったと神を讃美する地下エアがどれほど私たちの霊的力になり回復する力が大きいかを話していました。
主人も一緒に喜んでくれまして、共にわかちあうことができたことを感謝しました。
若いときには、まだそこまでの力がなかったおのですが神がいらっしゃることをはっきり分からせて頂くようになってからは、メッセージや讃美の中に理解する力が与えられ、それが神の平安をいただくことができる力になっていることを日々覚えて感謝しております。
そしてまた讃美が歌いつがれてきた真実の中にも歌がうまいとか下手ではなく、また演奏があるとかないとかではなく、心からの讃美がその人の中からあふれてくる時に感動があり、神の力に変えられていくものなんだなとあらためて思わせて頂いております。
まず自らの心を神を喜んで讃美する力に変えさせて頂きたいと思いながら、日々の闘いにいそしんでいきたく思っております。