巻頭言
— 母の召天から3カ月 —
石井 和幸
「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイ 25:40)「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(エペソ4:2-3)」
2月24日に母である石井美枝子が召天してから3か月が経ちました。3世代同居の我が家において、毎日生活をともにした母が居ないという様子は、まだとても不思議な感じがします。
今どこか1年がかりの旅行にでも行って、いつかまたひょっこり我が家に帰ってくるのではないか…そんな感覚が私にあります。それくらい、私たち家族にとって母の存在はより身近でありました。母はかつて、長男が小学生のときに、学校から帰宅し自宅がある建物の1階から屋上まで家族がどこにいても聞こえるようにと、ご近所に響く大きな声で「ただいま~!」と挨拶をすると、それに答えておやつを用意してくれたり、長女が帰宅すると、ゆっくりと母が娘の話を聞いてくれたり、毎日のいろいろな出来事、季節の変化や教会で受けた恵みを食卓で分かち合ってくれたり…そして母は、私が子どもの頃に3世代同居の家庭において、祖父母に仕えた経験を活かし、静かに黙って新しい家庭のために仕えました。やがて闘病生活を経て、自らがもう地上の人生が長くないことを悟ると、いろいろと私たち家族に向けて発信・提言を細かくするようになりました。今こうして振り返ると、その言葉一つ一つが継承されるべき大事な事柄であることを覚えます。私は特に、母が「静かに黙って家族に仕える」…そして教会においては「とりなしの祈り手」であったことに倣い、自らもそのように仕えることを示されています。今家庭においては、母が担ってきた部分をどのように引き継いでいくか、それも自己顕示をするのではなく家族それぞれの徳となる働きになっているか? イエス・キリストを信じる信仰のもとに、互いに愛し、愛されて「御霊の一致」を保つことができるようにと、示されています。 見えないところでの奉仕・働きに心を尽くして仕えた母の姿、孫への愛を示したことを通して、長女は4月30日に、イエス・キリストの十字架の血潮による救いの恵みに与ることができ、神に感謝しております。 母とともに暮らす生活は終わりましたが、また天の御国で再会できることを信じつつ母の信仰を継承し、キリストの十字架を仰ぎ、神と隣人を愛することに、尚遜って取り組んでいきたく思っております。
(仙台聖泉キリスト教会会員)