巻頭言
— 今おかれている中にも委ねるとは —
森田 初実
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ 7:7-8)
今年与えられました御言葉です。
私は昨年体調を崩し、仕事に行くことができなくなりました。はじめ調子がいまいち良くないなァーと思いながら、でもこれは年齢的なものなのだろうとあまり気にしていませんでした。そのうちに体にいろいろな反応が出るようになり、仕事の同僚、家族にも心配をかけ、迷惑をかけるようになりました。教会の婦人伝道師にその状態をお話しましたら迅速に対応して下さり、私に寄り添ってくださいました。まずはすこし仕事から離れて自分を優先して体の回復に努めることにしました。仕事は若いときから何ヶ所かかえながらいくつかの仕事をしてきましたが、子供を出産する時にお休みしたくらいで健康に守られてずっと働くことが許されてきました。そんな私が自分の時間をもてるというのは、体調が悪くなったからだとはいってもどうなるのだろうかという思いもありました。しかし先生からのおすすめに「はい、わかりました。よろしくお願いいたします。」と素直にまたこころからお委ねすることができました。それは体調が悪く自分で判断することができなくなっていたこともありましたが、先生とお話をし、そのことばに神様が先生を通して私に語ってくださったことを信じることができたためです。
体調を崩してしまったことによって仕事にいくことができなくなり、教会の集会にも出ることができない時もありました。教会の先生方、他にも若い先生方が私のために祈って下さり、共に祈ってくださるときもありました。苦しい時期を数ヶ月過ごしましたが先生方の愛によって私は支えられて、ここまで守られてきました。しかし一歩踏み出してもまた一歩もどってしまう。以前なら同じ事が10できていたとしたら今は2しかできない。時には全然できなくて落ち込むことがありました。でも2できたことあるいは1しかできなくても1できたことに価値があるんだと病院の先生に教えられて、体調を崩してからの私はどれだけまわりの人達に支えられ、助けられて生きていたんだということ、今まで当たり前と思っていたことを感謝して受け止めることが大切なのだということを改めて教えられました。そんな少しずつの回復の時期を過ごし、教会の中で自分が生かされていることを心から感謝しました。私は以前のように仕事ができるまでに体は回復していませんがそんな私にも神様は私を必要として用いてくださるところを与えてくださっています。一つは月2回の老人会のハンドベルのお手伝いです。集われてくる方々は私の両親の年代の方々です。ハンドベルの先生は私の子供の年代の方です。ちょうど私は中間になります。それだけ年代差はありますがとても楽しい交わりの時です。老人会の方々は私の顔もしっかり覚えてくださり親しみをこめて交わりをして下さいます。とてもうれしいです。それから週2回、まだ1才にならない双子の赤ちゃんのベビーシッターをしにお手伝いにいきます。とてもとてもかわいい男の子たちです。そしてとても元気でよく食べます。そしてよく笑います。またとても甘えん坊の二人です。ご両親が一生懸命育児にはげんでおられる姿に感動します。私にとって少しでもお手伝いできることに感謝です。また少しちがうのですが月に一度私をステキな女性に変身させてくれる若い先生との交わりの時間があります。私の爪にネイルをしてくださいます。私は仕事をしていた時、ネイルをしたことがありませんでした。体調を悪くして自分の時間がもてることによって、気持ちにも余裕をもてるようになったのもネイルをすることのうれしさ、ワクワク感が気持ちのモチベーションになっていることにまちがいありません。そして、ネイルをしてもらいながら二人で話をして過ごす時間がとても大切な時間になっています。私は孫娘にピアノのレッスンしています。私はプロの先生ではありません。ただひとつ心にとめていることは音楽を通して彼女が神様に用いられることであって、それを祈っています。また生涯を神様に捧げ続けている父が側にいます。その父ともゆっくりと過ごせる時間が与えられています。
これらの尊い時間は私が仕事をしていたら勝ち取ることができなかったことでしょう。体調を崩してしまって、全てを神様にお委ねした時に、神様が今の私に必要な時間を備えてくださったことを覚え、感謝しています。そして上記の御言葉が与えられましたので、私はなお一層信仰者として神様に成長を与えていただきたく、小さな価値を大切にして今年も歩まさせていただこうと願っています。