巻頭言
— 不毛の地においても祈りに答えてくださる神 —
齊藤 望
「ああ愚かな人よ。あなたは行いの無い信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたでは有りませんか。あなたの見ている通り、彼の信仰は彼の行いと共に働いたのであり、信仰は行いによって全うされそして「アブラハムは神を信じその信仰が彼の義とみなされた。」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。」 (ヤコブ 2:20~27)
この御言葉は今年の御言葉として与えられたものです。
ヤコブの手紙を読んでいるときに心に響くことがあり、自分がこの世の価値観や、慣習、恐れによって信仰が試みられることの多かったことに気づかされました。
その為に口を閉ざし、傍観者のようになり、恐れを耐え忍ぶ事のみを選択している自分がいたのを思い起こしました。
神はそんな弱い私の祈りを幾度も聞き入れて下さいました。
これはわかりやすい例ですが、以前勤めていた会社でのことをお話しします。
その会社は葬祭関連の事業所だったために年中無休で職員は週休二日のシフト制でした。特に年始の初売りや、盆、彼岸時にはイベントがありショールームの責任者として広報から仕入販売までを管理していました。特に土曜、日曜日の客数が多く日曜日の礼拝に出ることの困難があり何とかしなければならないと思い祈っていました。 そんな時に葬祭会館のリニューアル工事があり工事関係者から夕方遅くの仕事時に幽霊が出るので怖いという話があり多くの方が音を聞いたとか影が見えたと大騒ぎとなり職員の中にも宿直時に影を見たという方が何名か居り、事業所内に神棚を設け、神官によってお祓いをしてもらうことになりました。(私も幾度も宿直しましたが何も見えませんでした。)
それから朝礼時に神棚と供養塔に線香を焚き供えることが決められ責任者としてその役が割当てられました、その時は非常に困ったことになったと祈りそのあとすぐに上司にクリスチャンなのでほかの宗教行事に携わる事ができないと話し了解をして頂きました。
神は祈りを聞き入れて下さり試練の時を乗り越えることができました、それどころか勤務にも特にイベント時の勤務も祈りに応えて下さり、社長を動かし勤務の変更が成されました。通常は木曜日と日曜日の休日でしたがイベント時には休日出勤で勤務していました、
しかしその後は礼拝に出る事が認められ、イベント時の日曜出勤は午後からの出勤にして頂きました。この出来事をきっかけに日曜日の礼拝も守ることができ感謝しました。
このように神に心の内を祈り語り続けることと行動をすることによって事態を急速に展開して下さることを経験いたしました。
他にも祈りによって導かれ恵みも多く与えられました。
しかしすべての祈りが聞かれたのではありませんでした。思い返してみて祈りの動機がどこにあるかを探ると自分本位の祈りやこの世の価値観に従って祈ったことはかなわなかったと感じています。
仏式の葬儀が中心で、仏具や神棚を売る会社は「不毛の地」であって、多くの無駄な努力を強いられました。結局その会社は勤めつづける事ができず退職しました。
子供の頃より、神に祈る時に願いや罪の告白や思っていることの確認と祈りを通じて神との会話をしているように思っていました。ですから神は私の思いや傾向性、その他すべてを知っていて最善の道を導いて下さっています。私も孫たちを持つ身となり子供、孫たちも同様に、よい道を選択できて最善の道に行けること、そして不毛の地に行かないこと、またどのような所に行っても神に祈りを捧げ全てを話し神との対話ができるよう祈っています。
「私は御前に訴えを並べ立て、言葉の限り討論したい。私は神が答える言葉を知り、私に言われることが何であるかを悟りたい。」 (ヨブ記 23章4-5節)
(仙台聖泉キリスト教会会員)