同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

 - すべてのことを神に委ねて -

岩本 献一

  「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(ペテロⅠ 5:7)

 今年40歳になりましたが、今年の4月頃に体調を崩していろいろと検査を受けた結果、自分の身体に国の難病指定の不治の病が見つかりました。
それも色々検査した結果合計3つも見つかったという事で自分以上に周りの方々を驚かせたと思います。
 当時は急に発熱と頭痛におそわれしばらく教会に行けず、日常の生活は送れるものの食事量も減っていました。
この状況に、生まれて1年程度の二人の子どももいることから、先生方はじめ教会の方々にも大変心配して頂きました。
 結果として私の場合は処方された薬が良く効き副作用もなかったため、完治はしないものの薬を飲み続ければ普通の人と全く変わらない生活が送れるという事になりました。
 この事自体が大変感謝なことなのですが、今回の事には他にも感謝する事がたくさんありました。

 1つ目はこの時代、この場所だったことです。自分の病気はちゃんと食べて寝ていれば治るという病気ではなく、病院にいって治療をしないと段々悪くなっていくものです。
 ですがこの仙台には大きな病院もたくさんあり、昔は治らなかった病気でも今は治ったり、効果的な薬があったりします。
私の病気も少し前の世の中であれば完治せず、徐々に悪くなっていきおそらく寿命も相当短くなったものだと思われます。
過去そういった状況になく苦しんだ方々もいらっしゃる事から手放しでは喜べませんが、神様がこの時代、この場所に私を導いてくださったことは大変感謝です。

 2つ目は病気で困っている人の気持ちがよりわかるようになったことです。
今までもコロナやインフルエンザにかかったりはありましたが、どれも基本的には治る病気でした。
 ですが世の中には簡単には治らない病気にかかったり、怪我をしている人がたくさんいます。
そういう人たちは普通に生活しているように見えることもありますが、元気な人とは違った苦労をしています。
新約聖書の時代、そのような人たちは病気を癒すというイエス様のところに行って病気を治してもらったりしていました。
 ああそうか、病気や怪我の人は助けを求めているんだな。という事にあらためて気づくことができました。
苦しい時にイエス様なら助けてくれるという事を伝えていかなければいけないという事に改めて気づけました。

 3つ目は病気になったのが自分で良かったという事でした。
子どもを持つ両親は、子どもが病気になって苦しんでいる時に代わってあげたいと思います。
苦しんでいる人を見ること、特に自分の子供が苦しんでいる事を見るのはつらい事です。
 私にも二人の息子がいます。この二人の代わりに病気になったと思えばそんなに辛くはありません。
十字架にかかられたイエス様ももしかしたらこういう気持ちを感じていたのかなぁと考えることができ、とても嬉しくなりました。

 4つ目は、この病気はいつか自分の武器になるという事を聖書を読んで知っている事です。
聖書の神様は意味のない事をしないお方です。ただ自分を苦しめるためだけに病気にする人ではありません。その事には必ず意味があります。
きっと神様は自分のこの病気を使って、新しい働きをさせるんだろうと思っています。その時がいつ来るか、どんな働きをすることになるのかを楽しみにしています。

 5つ目は4つ目の理由にも関連するところですが、神様の計画の美しさに出会ったことです。
今回合計3つの病気が見つかったのですが、最後に判明した病気についてはその前に判明した病気の検査でついでに見つける事ができたものになります。
早期で見つかったため薬を飲み続ければ問題ないと聞いて、他の病気と同じだなと大して気にしなかったのですが、 牧師先生に報告したところ、「この病気が見つかるために最初の病気があったのでしょう」と言われ、そのとおりだと思い改めて感謝しました。

 というように文章にすると色々な感謝があったように整理できますが、
症状に苦しんでいる時も自分の心が常に平安で、物事を前向きに考えられたのは間違いなく聖書のみことばを読んで神様を信じていたからです。
 今後の自分の人生においても、自分の力ではどうにもならないことが起こるはずです。ですが、その時に自分は神様に頼って祈る事が出来ます。
 問題が解決するかどうかは神様が決めることになりますが、問題の中でどう考え、行動すれば良いかは必ず道が示されるという事を信じ、委ねて歩んでいきたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)