同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

 - 主に信頼する子育て -

石井 貴子

  「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ 12:2)

 今年4月、私たちの家庭の長男は小学校に入学します。ここまで守られ、成長が与えられたことを、まず神様に心から感謝いたします。振り返ると、あっという間であったようにも感じますが、これまでの歩みを思うと、「やっとここまで来た」という思いの方が大きく感じられます。

 長男が2歳半から4歳頃のこと、私は長男の「愚図り」と日々向き合っていました。今思えば一時的な時期でしたが、当時の長男は寝不足の時、気持ちが崩れた時、お腹が空いた時など、いわゆる“コンディションが悪い”時に、気持ちの収拾がつかなくなることがよくありました。特に平日、保育園でお昼寝をしなかった日は、帰宅後の対応に覚悟が必要で、毎日お迎えの際には担任の先生にその日のお昼寝の有無を確認していたほどです。

 どう対処すれば良いのか分からず、私たちの教会の婦人伝道師である山本盡子先生に、ことあるごとにお時間をいただき、相談していました。あの手この手で作戦を練り、はじめは「コンディションを崩さないようにする」ことから始め、次第に「コンディションが悪くても親に従う」ことへとシフトしていきました。うまくいったことも、うまくいかなかったこともありましたが、先生から教えていただいた「子どもに主導権を渡さない」という姿勢だけは、守り通せたと思っています。

 そのような取り組みを続ける中で、長男も徐々に落ち着き、4歳になる頃には愚図ることもほとんどなくなり、親に従うことができるようになりました。  当時を思い返すと、私自身も母として未熟であったことを思わされます。初めての子育てで分からないことばかりでしたが、あの時に長男と真剣に向き合った時間は、今となってはとても貴重なものであったと感じています。子育てが始まって6年。今もなお、当時の出来事が私の中で大きな部分を占めています。

 そして、もう一つ当時心に留めていたことがあります。それは「子どもは親に従うことができなければ、神様にも従うことができない」ということです。冒頭の聖言は、長男が誕生した際に与えられたものでしたが、この聖言に触れるたびに、私自身の心が整えられ、子育ての姿勢が形作られていることを思わされます。
今もなお、畏れつつ心に留め、取り組んでいるところです。

 これから、2番目、3番目の子どもたちにも、長男と同じような時期が訪れるのかは分かりません。また新たな問題が起こるかもしれません。長男にも、いずれ反抗期がやってくることでしょう。しかし、困難の中にも必ず助けがあり、また困難を乗り越えた先には新しい景色が広がっていることを、神様は示してくださいました。

 神様を信じ、希望をもって歩むことのできる幸いに、心から感謝いたします。これからも、主に信頼して子どもたちと向き合い、神様の御心にかなう歩みを続けていきたいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)