同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第84回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)
3.3新約の王(つづき)

 もう一度先に述べたことを取り上げますが、王は、
・自分の支配下にある人々を組織し、
・法律を定め、
・組織した人々を使って実行(行政)させます。
・法に反するものを取り締まり、処罰します。(司法)
・租税を定めて徴収します。
・また軍隊を組織し、外国から国を守ります。(軍事)
・組織の人々が、それぞれの役割を果たすために必要な訓練、たとえば軍ならば軍事の訓練というように、をします。(教育)

 これを家庭について考えてみましょう。
 これらのことは、互いに関連して働きをなします。ですからひとつの項目を取り上げるとほかをも取り上げなければならなくなりますが、できるだけ分けて考えましょう。
組織については既に考えましたので、次に、
・法律を定める--立法
です。
家庭にはルールが必要です。
そのルールは主として生活に関わるものです。それは決めごとつくれば多岐に及ぶでしょうが、多すぎれば実行不可能になりルールは無視されるようになり、後々悪影響を及ぼします。
私の所属する教会の牧師の家庭では、あるお子さんのテーマは、朝学校に行く前に階段の拭き掃除-ぞうきん掛け-をしていく。家族全員がそろって夕食--確か6時だったと思いますが--を一緒に食べる、でした。それは長く守られました。
信者の家庭は生活のリズムがそれぞれですから、そのバリエーションというか、自分の家庭にあった適用を考えて、やはりルールを定め、それを行うことが必要です。それ自体が教育であり訓練の場となります。親がそれを実行し、子どもに実行させる-行政-ことが絶えずつきまといます。さもないと、ルールはたちまち崩れます。ルールに違反すれば叱られることになります。-司法-です。子どもは家庭で罪を犯すことがあるでしょう。それもまた取り上げられなければなりません。都度、罪を犯したことを、謝罪がなされることと適切な処罰が必要です。
家庭では租税というものはありませんが、子どもの年齢に応じて家庭の労働を分担することが必要でしょう。
 何時までに家に帰ること、という規則は子どもを守る重要なルールです。
交友関係や、子どもたちがどんなところに出入りしてよいか、生活の万般に渡って、すべて放任というわけにはいきません。ひとりひとり、ひとつびとつの家庭によって異なる内容のことが起きますから、共通の規則はできません。親がその場その場において、判断することが起きます。
あることについては家庭のルールとして決め、以降ずっと守らせるというようにすることもあるでしょう。

 以上述べてきたことは、すべて子どもの教育につながっています。
 子どもたちが神の用に間に合うものとなるために、どのようなことを身につけさせたらよいのでしょうか。-教育-
教会の集会に座っていることができることは基本的な重要事です。
 親、家庭の、ものごとに対する感覚、ものごとをどう受け止めるか、というそのあり方-価値観-が、子どもたちのものの見方を造ります。教会の中の活動に関わることはもとより、この世の仕事、収入(金銭)、学業、・・・といったものに対して、親の価値観が子どもに植え付けられます。

 家庭を動かすために必要なことは、新約の祭司、預言者、王の各論に入る前に述べた、<権威>の問題がすべてにつきまといます。権威がなかったら、何もできません。

<王>は権威の象徴です。
 親が権威をもって家庭を取り仕切らなかったなら、やがて家庭はダビデたちの頃の<城壁のない町>のようになり、子どもたちの行動や、その友人たちによって家庭が荒らされることになるでしょう。

 王の権威を戦い取ることが私たちに課せられている最初の取り組み課題です。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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