同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第81回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)
3.3新約の王

「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(IIペテロ 2:9)
 この「あなたがた」に、すべてのキリスト者が含まれます。ですから私たちは「新約の王」のひとりです。
 この新約の王について考察しましょう。
この問題を考える入り口として、
自分が・・する
ということと、
   他人(隣人)に・・させる
ということを考えてみるとよいでしょう。
 キリスト教信仰の中で、大きい比重をしめている思想は、「自分が・・する」ということです。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(Iコリント13:4-7)
というみことばに、それが集約されています。
 では王はどんなことをするでしょうか。
まともな王であったら、自分の支配下にある人々を組織し、法律を定め、組織した人々を使って実行させます。すなわち行政です。法に反するものを取り締まり、処罰します。すなわち司法です。国を動かすための費用をまかなうため、租税を定めて徴収します。また軍隊を組織し、外国から国を守ります。すなわち軍事です。
 これらの王のすることの特徴は、はじめに取り上げた内容から言えば、
「他人(自分の配下にある人々)に・・させる」ことに当たります。

 忘れられているように見えるこの
「他人(隣人)に・・させる」
ということは、私たち自身と、家庭、そして教会を建てあげる上において、欠くことのできない重要な事項なのです。
 この世に引き留めようとする家族を振り払って、天国への旅をするバンヤンの天路歴程のキリスト者であるなら、ひとりで信仰の旅をするでしょうけれども、ピリピの牢番のように、<その家の者全部>で信仰の道を歩みたいときには、この「他人(隣人)に・・させる」ことがどうしても必要となります。(以下次号)

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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