同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第83回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)
3.3新約の王(つづき)

 教会はひとつの組織体として働きますが、家庭もまた組織です。
 家庭という組織を考えてみると、はじめにひとりの男とひとりの女が結婚に導かれてスタートします。そこに子どもが加えられて、夫婦、親子、兄弟姉妹、またそこに夫婦の両親が加わって、こどもの視点では、祖父母がいるということになります。
 家庭の長を務めるのはもちろん夫であり、父親です。
 エペソ人への手紙5章の後半に、夫婦の関係がキリストと教会との関係に結びつけて夫と妻に対するすすめがなされています。キリストが栄光の教会を建てる働きをされたように、夫は妻の品性を建て上げること、それが妻を愛することだというのがパウロの主張です。
 続く6章のはじめに、「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。」と、こどもに対するすすめがなされています。
父親には「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」とパウロはすすめます。
 父親が父親に相応しい位置につき、母親が母親に相応しい位置につき、兄弟がいたなら、兄は兄、弟は弟の位置にいることが必要なわけです。こう述べることは簡単ですが、実際の生活の中でこどもたちのあいだで、食べ物とかおもちゃで取り合いが始まるのが常ですが、「あなたはお兄ちゃんなんだから、弟はまだ小さいんだから、譲ってあげなさい。」とするでしょうか、弟に「お兄ちゃんがくれるまで待ってなさい。」とするでしょうか。子どもたちの成長につれて、どんどん変化していく中で、親はそれらを決めて、こどもたちを扱っていかなければなりません。
 子どもたちが小さいときは、親が決めることが通るでしょうが、大きくなるに連れ、一筋縄ではいかない、というようになります。子どもたちが母親を馬鹿にするようにならないためには、どうしたらいいでしょう。ひとくちで答えられるような問題ではありませんが、それを重要なこととして、親が取り組むことをやり続ける必要があります。男親がこのようなことから自らの責任を放棄し、何もせずなるにまかせるという事例はいくらでもあるでしょう。
 自覚を持って、神から与った家庭を建て上げなければなりません。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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