同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第71回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)
3.2 新約の預言者(つづき)

 旧約の預言者は私たちになじみ深く、そのイメージも固まっていますが、新約の時代に入ると、もう預言者はいなくなったように感じていないでしょうか。それは、旧約の預言者がやがておいでになるイエスについて預言し、そのイエスがもう来られたので、預言者の時代は終了したと考えるためであろうと思います。預言者は「神から神のことばを託された人」と理解するとよいといいましたが、新約聖書では預言者がどのように記されているかを引用してみましょう。
 新約聖書に記されている預言者ということばは、まず旧約の預言者あるいは旧約聖書そのものを指している場合です。
例えば、
「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。」(マタイ 1:22)
「律法と預言者はヨハネまでです。」
(ルカ 16:16)
などであって、同様の使い方をされている箇所が多数あります。
イエスについて旧約の預言者たちが記したことは実現するとイエスご自身が述べています。
「人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。」(ルカ 18:31)
預言者のことばは神のことばであって、それは実現するということは、聖書が一貫して示していることです。

次に新約で預言者と呼ばれている事例を拾い上げてみましょう。

「そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。」
(使徒11:23)
そのうちのひとりはアガボという名でした。

「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。」(使徒 13:1)
ここではバルナバやサウロ(恐らく後のパウロ)他の名が預言者、教師として挙げられています。

「ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。」(使徒 15:32)
シラスという人はパウロがバルナバと分かれた後のパウロの伝道旅行に同道しました。

「幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。」
(使徒 21:10)
このアガボという人は、使徒11:23に書かれている人物と同一であることは疑う余地がありません。

「預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。」(I コリント 14:32)
聖霊は祈りの霊となって私たちのうちに住んでくださるのと同様に、預言の働きをする人々のうちにあって、預言者の霊として働いて下さるのです。助け主聖霊はそれぞれの働きに相応しい助け主です。

「自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。」
(I コリント 14:37)
自らを預言者と思うことが認められています。そしてその人はパウロが手紙に書いたことを神のご命令であると受け止めなさいと命じられています。

「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」
(エペソ 2:20)
この使徒と預言者はあきらかにイエスの後の人々を指していて、新約の時代の人々に当てはまります。

「この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。」(エペソ 3:5)
福音の奥義が使徒たちと預言者たちに啓示されていて、前の時代(旧約の時代)の預言者たちには知らされていなかったのですから、ここに述べられている預言者は明らかに新約の人です。

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」(エペソ 4:11)
キリストご自身が(現在)ある人を預言者として立てるのです。

「苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。」(ヤコブ 5:10)
この預言者はイエスのみ名によって語った人々ですから、新約の人です。

以上から新約時代にも預言者を考察すべきであることは明らかです。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

Valid XHTML 1.0 Strict