同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 信仰を守り通した義母 —

山田 行

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(IIテモテ4:7)

 今年の5月3日、82歳で義母は天に召されました。教会の方々はじめ多くの方々に祈られ励ましを頂き本当にありがとうございました。義母も最後まで神に感謝を捧げ皆さんに感謝をしておりました。自宅で最後まで生活したいということ、教会の集会にも行きたいということ、すべて神は許してくださって願いを叶えてくださいました。息を引き取る時も息子である主人の胸の中に抱かれて天に返っていきましたことをご報告させて頂きます。
 私が山田家に嫁ついで21年ですから義母と20年間ずっとそばで生活をして来ました。義母の物も少しずつ片付けてはいるのですが、やはりまだまだ義母のものや部屋の臭いや大好きだった庭を眺めては、義母との思い出があふれ出します。仕事が終わって帰ると必ず玄関の明かりと部屋の明かりが付いていましたが、今では真っ暗な家に帰ると本当に寂しくなります。いつも洗濯物を取り込んでたたんでくれていました。ティシャツも靴下もきちっとはじまでそろえてあって手のひらでなでてくれるのでしわもありませんでした。嫁とするとその洗濯物を見るたびに背筋がピンとする緊張感がありました。(笑)今はそれもなくなってかごの中に沢山の洗濯物が雑然と入っていると、本当に義母はいないんだなと実感します。いなくなって初めて本当に義母は私たち家族を愛し、心配し助けてくれていたことをつくづく感じます。教会でもいつも義母が座っている席が空いているのをみると義母の神に対する一途な信仰の姿を思い出します。どんな時にも集会出席を大切にし、大きな声で賛美し、祈っている姿や説教を聞いて感動したと涙を流している姿。子供たちが賛美をして嬉しそうに拍手をする姿。忘れることは出来ません。
 昨年の今頃から体調が悪いといっていましたが今年の2月に病院の先生から「お母さんの命はあと良くて3ヶ月でしょう。」と告知されその日娘と2人でいっぱい泣きました。そして「後は神様にお任せして精一杯笑顔でおばあちゃんのお世話をしましょう」と約束して主人の妹の家族と私たち家族が協力して看病しました。義母の願いである自分の家にいたいとの事、24時間看護が必要でしたが、不思議なようにそこに備えられて姪や娘が中心にいつも家族が義母といてくれました。私も仕事を辞めることなく続けることができました。その3ヶ月の間教会の子供たちのコンサートに行ったり好きなものを食べたり、みんなでよく話し笑いあい幸いな日々を送りました。もちろん具合が悪くなったり、心配なことも沢山ありましたが、ひとひとつ乗り越えさせていただきました。
 義母は病気にも勇敢に戦いました、そして走るべき道のりを逃げないで神を見上げながら走り続けました。そしてこのすばらしい信仰を守り通しました。そうしてくださった神に感謝いたします。またこの一年、私が書かなくてはいけないこの紙面でしたが多くの兄弟姉妹が私を心配して担ってくださいました。本当にありがとうございました。 
 新しい年もまたよろしくお願いいたします。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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