同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

魅力あるささげもの

石井 和幸

「そこへひとりの貧しいやもめが来て、レブタ銅貨を二つ投げ入れた。それは1コドラントに当たる。すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。』」マルコ12:42-44

 私は学生時代、ほんの数か月でしたが、ラーメン屋でアルバイトをしたことがありました。仕事を覚えるのにドキドキして、失敗をした時にラーメン屋の親方が言ってくれた言葉があります。「君は忙しくなると頭が真っ白になるタイプだろう。そういうときは一つずつ焦らないで仕事を覚えるんだ。仕事が出来るようになったら、暇なときも忙しい時も、てきぱきと同じスピードで仕事をするように心がけるんだ。そうすれば、どんな時でも慌てなくなるんだよ。」・・・当時、ラーメン屋の親方に言われたことは、今の私にも当てはまります。親方は私にこんな話もしてくれました。「私はね、いろんな事に興味をもって、極めようと思うんだけど、とりあえず、人様にお金をもらって商売ができるところまで勉強・修行するんだ。そのように自分が興味をもった数あることの中から、仕事として選んだのがラーメン屋なんだよ。でもね、商売ができるところまで極めたら、いったんそこでセーブするんだよ。そうしないと自分の生活がそれだけになっちまうからね」・・・当時、私は親方が言ったことが理解できませんでした。親方が作るラーメンは本当においしいものでした。ですから、(とことん極めたらいいのに・・・)と思ったものです。けれども、この年になってやっと親方が言ったことばの意味がよくわかりました。また、そう言いつつも当時の親方がお客さんを満足させるラーメンを作りつづけていた姿も、今の自分にとって目指すべき姿の一つであることを覚えます。
 11月初旬、私の仕事で、客先に納品された品物にクレームが発生する出来事が3件続きました。3件とも、忙しさのなかでの私自身の判断ミス、管理不徹底が原因でした。 11月4日、ちょうど仕事上の問題で自分の気持ちが沈んでいたときに、教会で伝道コンサートがもたれました。中高生を中心とした若い方々が、この1年練習を積み重ねてきた成果を見させていただきました。特に私の心を打ったのは、キーボードのS姉でした。Sさんは高校生で、最近は集会でピアノでの奏楽にも加わっている姉妹です。彼女が中学生のときは、比較的他のメンバーに比べて仕上がりが早いため、あとの練習の時間は特にガツガツ取り組むわけでもなくそれなりに過ごす・・・という人でありました。けれども、今回のコンサートでは、ただ鍵盤をおさえているのではなく、弾き方、弾く時の表情まで備えていて、実に輝いていました。私は子どもの頃、同じ楽譜を演奏するにしても弾く人の讃美の心が分かるような演奏を聞いたときに、喜びをもって讃美をする姿の中に(この人たちは何かかけがえのない大切なものを持っている。自分もこの人たちのようになりたい)という憧れを抱きました。コンサートでのS姉の演奏にも同じ姿を見ることができました。思い返すと、S姉はこの1年「讃美の心をもって奏楽をする」ことを先輩から教えられ、こだわりつづけていました。聖書を学ぶ会にて、牧師に「こんな状態、こんな心で奉仕していいのかと思う時があります。」と赤裸々に質問をしたこともありました。同労者156号Q&Aルームにそのときの様子が掲載されていますが、牧師から励ましを受け、取り組みを続ける姿に、主にあって目標が与えられ、それに向かって全身全霊で仕えることの大切さを教えられました。
 私も、もう一度、なすべきこと、優先順位を教えていただきながら、歩みを進めたいと思います。調子がいいから献げて、調子が悪いときは動かない・・・という姿勢ではなく、時が良くても悪くても同じように仕えることが出来るようにと示されています。
 教会ではクリスマスに向けて、イエス・キリストのご降誕を祝う準備がなされています。私の子どもたちも、教会学校においてその働きに加えさせていただいています。子どもたちが自らの姿勢を通して神を知り、神を畏れ、神に仕える姿に憧れといのちを見いだすことを目標に、私たち夫婦も主を愛し、仕えることの意味を吟味し、取り組んでいこうと思っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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