同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 感謝のお証 —

齊藤 遥

 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
ヨハネの福音書15章12節-17節

16)あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
17)あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
このみことばは、結婚式の際に開かれたみことばの一部です。

 今年3月21日で結婚して満一年を迎えます。この小さき家庭を、愛する家族・愛する兄弟姉妹に祈っていただき、嘉納先生・盡子先生を通して神様が豊かに導いていただき、日々ささえられたことを夫婦共に感謝致します。
 主人も私も、最近それぞれにふとした時に一年前の出来事を思い出しながらよく話をする時があります。それは、2人で昨年の手帳の予定を見た時に日常のことでいえば「去年の今頃は家を見に行ったね」とか携帯電話のメール内容を見ながら、「この頃は敬語ばかりで絵文字もあまりなかったね」とか新居も家電や家具などは整っていましたが、細かく言えば食器はあるがお箸がなかったり、アイロンあってもアイロン台がなかったりなど、また、会話一つ一つに距離感があり、時には理解し合えない中言い争ったり、距離を置いてみたり、そのようなどうでもよい話に思えるかもしれませんが私達夫婦にとってはこの何気ないひとつひとつが神様によって整えられ豊かにされて、また昨年は互いに心がかたくなで夫婦として隣人を思いやり愛するということがどういうことかもわからない2人を毎月の家庭集会や礼拝や諸集会のメッセージ、周りにいる兄弟姉妹のお証を通して気付かされ、私達の心は悔い改める機会が何度となく与えられ、夫婦での会話の中やそれぞれに与えられた日常の中に神様が豊かに生きておられお互いにバラバラだった心や価値観を少しずつひとつにしていくことをさせていただきました。
 今年も変わらずに神様に愛される家庭建設を目指しながら、その中でも新しい家族が与えられることを神様に祈りながら歩んでいます。その歩みの中でも日々様々な場面や教会を通して神様はそばにいてくださり、導き続けてくださっていることに心から感謝致します。


(仙台聖泉キリスト教会 会員)