同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 神に近づく(12) —

「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、」
(ヨハネI 1:1)

 神から直接お叱りを受けてしまったことをお話しましたが、それは神と私との関係が単に聖書を読んで神を知っているだけでなく、神との人格的な<生きた関係>にあることの証明でもあります。
私たちは、神とどのような関係にあるかが、大切です。いろいろな場面で次のようなことを述べてきましたが、ここでもそれが当てはまると思います。
私たちはテレビなどを通じて、映画やテレビドラマの俳優、バラエティ番組のタレント、スポーツの選手、歌手など様々なジャンルの有名人を知っています。ファンになってその人物について深く知ることもあります。しかし、テレビを見て知っているだけでは、どんなに多くのことを知っても、その人と私たちの間に<生きた関係>はありません。神と私たちの関係がそれと同じようであることがあります。神と私たちの関係は、ある時点では生きた関係があるが、次の時点ではその関係が切れている、そのようなことが繰り返されているというようなことは、通常はありません。神との生きた関係に入れていただいた人はその状態が続き、神との生きた関係を持ったことのない人は、関係のない状態が続くのです。
 イエスはこう言われました。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。・・。」(ヨハネ15:5-6)
このみことばを知っていても、それはテレビを見ているのと同じ「知っている」・・このことばを知っている・・だけでは、残念なことです。
 その内容が実際にあって、イエスのいのちが私たちに伝わってこなければなりません。このようなことには、アンドリュー・マーレーの著書を読み、それに導かれて祈りの世界に足を踏み入れることをおすすめします。そして、イエスを私が「聞いたもの、目で見たもの、じっと見、手でさわった」お方といえるまでになりましょう。アンドリュー・マーレーの本は、「まことのぶどうの木」、「祈りの学校」など多数発行されています。

 皆さんに、神に近づきたいという願望を持っていただきたいと願います。そのために次の讃美歌を繰り返し歌いましょう。

 なお主を知らばや  なおその恵みを
 なおその救いを   なおそのなさけを

 (折り返し)
  なおなお主を  なおなお主を
  なおその恵みの 広さを知らばや

 なお主を知らばや  なおその御旨を
 なおその御霊を その奇しきわざを

 なお主を知らばや なお主と交わり
 なお従わばや   常にその声に

 なお主を知らばや  なおその栄えを
 なおその御国を   なおその来るを
(インマヌエル讃美歌342)

元歌の意味を1節だけご紹介しましょう。

 イエスについて私はもっと知りたい
 彼がほかの人に示した恵みをもっと
 彼の十全の救いをもっと知りたい
 私のために死んだ彼の愛をもっと

 もっともっとイエスについて
 もっともっとイエスについて
 彼の十全の救いをもっと知りたい
 私のために死んだ彼の愛をもっと

参考のため英語の元歌も掲載しておきます。

 More about Jesus I would know,
 More of His grace to others show;
 More of His saving fullness see,
 More of His love who died for me.

 More, more about Jesus,
 More, more about Jesus;
 More of His saving fullness see,
 More of His love who died for me.

表現が難しいのですが、「もっと知りたい」の部分は非常に強い願望を表しています。
「彼がほかの人に示した恵み」はイエスの愛の実例です。皆さんは誰を思い浮かべるでしょう。
婚礼のピンチを救われたカナの新郎でしょうか、死んだ息子を生き返らせていただいたナインのやもめでしょうか、カナンの女とも書かれている、娘を癒やしてもらったスロ・フェニキヤのギリシャ婦人でしょうか、救いに導かれたサマリヤの女でしょうか、シロアムの池で目を洗った盲人でしょうか、テマイの子バルテマイでしょうか、姦淫の現場で捕らえられた婦人でしょうか、イエスと一緒に十字架に架けられた強盗のひとりでしょうか?
 それとも、私たちの身近にいる兄弟姉妹たちや、私たちが聞き知ったキリスト者たちのいただいた恵みでしょうか。
 「私のために死んだ彼の愛、彼の十全の救いをもっと知りたい」、イエスとの<生きた関係>としてそれを知りたい、それが皆さんの強いこころからの願望となりますように。