同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 子ども達と向き合う —

玉城 義

「主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」」
(ルカ10:41-42)

 昨年1月に若い兄弟が救いの恵みに与りました。彼が救われることは、教会にとっての祈りでもあったので、感謝しています。
 私の家庭も今年で結婚して6年目に入ろうとしています。ここまで神の哀れみと導きによって歩むことができたことを感謝しています。
 2人の息子が与えられ、この2人を神の御前にどう育てていくかが私たちの課題です。家内に教会のハンドベルの練習があり、息子達2人と家で過ごす時がありました。寝ていた次男が途中で起き、なかなか泣き止まなくなりました。どうしたら泣き止ますことができるか、次男を抱きながら部屋を歩き回っていたら、そこにたまたまクマのぬいぐるみがあり、それを彼に渡したら安心してすぐに眠りはじめました。
このあと家庭集会で主牧先生御夫妻から御指摘いただいたことは、親が子どもの求めに間に合っていないということでした。日常彼らと一緒にいる家内と仕事にでている私がお互いにコミュニケーションをとりながら、子ども達が今何に関心を持っているのか、どうすると安心するかなど密に話し、確認し合っていくことが大事であることを教えていただきました。
 この1件も小さいことかも知れませんが、親が子どもの求めに応えられないことが積み重なっていくと、子ども達の心が後々、親から離れていってしまうこと、他のものに子ども達の心が捕らわれていってしまうことを危惧していかなければなりません。
 冒頭に掲げた御言葉は、今年私自身が与えられた御言葉です。「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや一つだけです。」という箇所に心が留まりました。私にとって、今、最も必要なことは、子ども達の心を捕らえることです。そのことを覚えながら、若い兄弟達が救われたように、この子ども達も救いの恵みに与ることができるように祈りつつ子ども達と向き合っていきたく思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)