同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 私の後ろに、祝福と感謝が残るだろうか? —

山田 行

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」
(詩編23篇6節)

 昨年の春、父が「もう一度自分の両親の故郷である佐渡に家族みんなで行きたい」と言いました。
私は、80歳を過ぎた父の願いを聞いて少し驚きましたが、兄と弟に相談しそれぞれの家族を含め皆で検討することにしました。私たち皆は「父が望むなら家族みんなで行きましょう」ということにすぐに一致しました。そして翌年の夏を目指して準備が始まりました。あっという間に月日は経ち、旅行が間近に迫りました。しかし今年になって、父の腕が痛み出したり指先がしびれたりし始め、母もめまいが出たりと行くことが出来るのか心配になりました。けれど家族で何とか父母が快適にそしてみんなで良い思い出を作り、楽しめるようにと祈り進めました。特に弟夫婦が色々な手配をしてくれていよいよ出発にこぎつけることが出来ました。夜中に仙台を出発し、山形で弟たちと合流して早朝に新潟港に着き、車4台総勢20名でフェリーに乗り佐渡ケ島に向かいました。途中子供たちが楽しそうにカモメに餌を口移しでやっていたのにはびっくりしましたが無事に着きました。
 美しい海と山に囲まれた佐渡の景色は最高でしたが、私たちは観光もそこそこに、さっそく海に入りました。浮き輪でプカプカ浮いている者あり、10メートル近い高さの堤防から飛び込む強者あり、海に潜ってアワビやウニを採る者、さらには小さなモリ(?)で魚を突いて捕る者までいて、家族みんなで佐渡の海を満喫しました。今年82歳の父も久し振りの佐渡の海に活き活きと潜り、水中眼鏡を使っていつまでも海中を眺めていました。
 次の日には父の両親の実家や親戚宅の訪問も出来ましたし、思い出のトンネルや小さな沢も変わらないままでした。夕食は夕日の沈む丘でバーベキューを楽しみ、夜はゲームをしたり、語り合ったりと、その中で両親も楽しげに共にいました。特に父の本当に楽しそうな笑顔と、嬉しそうな姿は私たち家族の心に焼き付きました。

 冒頭のタイトルは「羊飼いが見た詩編23篇」という本に書かれていた一文です。神のいつくしみと恵みが追って来ているにもかかわらず、私たちがそれをきちんと受けて後ろに祝福と感謝を残して歩んでいるだろうか、と問われたものです。
 私は今回の旅行を通して、あの小さな島の小さな部落の中で生まれ育った祖父母が、神の憐みと導きによって見い出され、そればかりでなく戦前戦後の困難な時代に伝道者として生きたことは、素晴らしさとともにとても大変なことだったろうなと思いました。息子である父も困難の中でしたが罪から救われて献身し牧師という使命に生かされてここまで来ました。祖父母そして両親の後ろにいた私たちは神が与えてくださったいつくしみと恵みによって祝福と感謝が与えられました。彼らの神に一途に仕えた生涯と信仰は荒々しく時に人々に誤解をまねくようなことなど多くの挫折や困難と闘いの日々だったようですが後に続く私たちに神の豊かないつくしみと恵みを確実に流してくれました。今度は受けた私たちがこの流れを停滞させてしまうのではなく次に流すことができるようになりたいと切に思いました。私たちの後ろに祝福と感謝を残せるようにどのような姿勢で信仰者として歩んでいったらよいのか、祈りつつ求め続けたいと願いました。

 二泊三日、あっという間の幸せなひと時でした。佐渡の夕日は本当に美しかったです。祖父母も同じこの海に沈む夕日を見て神に感謝を捧げたのでしょうか?そして今両親は歩んで来た信仰の結実である家族に囲まれて、本当に幸いな笑顔でいました。

佐渡1
佐渡2

(仙台聖泉キリスト教会 会員)