同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 救いを受けて一年 —

山本 守

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
(黙示録 3:20)

 救いを受けてこの四月九日で一年が経ちます。今年から私は幼稚科の先生になりました。私の担当はこの教会の最年少、もうすぐ一歳になる男の子です。礼拝の前の一時間をこの子と過ごすのは私の今一番の喜びです。まだ何も話すことは出来ませんし、嫌なことは嫌とはっきり表わしますが、彼の顔を見ると豊かな慰めを受けます。同時にこの子のために自分の生涯をかけてもいいと思います。キリストが私のためにそうであったように。
 私の一つ一つの歩みが神と愛する教会の兄弟姉妹に守られて、ここまでこれました。日々神と教会と共に歩むにつれ霊の成長が与えられていることを感謝しています。
 去年は私の他に、教会の同世代の兄弟姉妹の多くが救われました。子どものころから教会で共に生きてきた大事な仲間が同じイエス・キリストの十字架の愛に導かれて同じ道を歩むことが出来ていることを嬉しく思います。多くの兄弟姉妹が私の救いがあったからと言ってくれたけれども、それは単に神が私を一番に救いに導いてくださったからです。彼らの救いは彼らのその正直で素直な姿勢にあったからです。救われた時を思い返すと、私もそうであったと思います。しかし私は最後の最後まで自分の気持ちを神に正直に素直に現わすことができていませんでした。意固地になって、自分を正当化することしか考えませんでした。そんな私のかたくなな心の扉を黙示録にあるようにキリストは叩き続けて下さいました。そして私はそれに意志して応えることが出来ました。神はその決定を喜んで下さいました。意固地で愚かな罪人に過ぎないものが、神を喜ばせることの出来る存在に変えられたというこの経験は、何事にも代えられない恵みでした。始められたこの関係は、私の生涯の揺るがない神の顕現となりました。それはもう一度、私自信を全て献げてご意志の中をまっすぐに歩むことを決意しました。そしてそれをも神は喜びと共に、受け入れて下さるだけでなく、豊かな助けをもって全うさせて下さる事を信じています。
 大学を卒業後、神学校に進むことを決めさせて頂きました。残る一年、この教会に豊かに仕えさせて頂き、救われた仲間達と共にキリストの十字架を誇りとして歩みたく思います。自分の思いを優先するのではなく、心に悲しみや苦しみがある人に寄り添って自分を変えてくださった神の愛をまっすぐに示し続けていきたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)