同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 神に近づく (28) —


「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ 3:16)

 このコラムの最初に「・・讃美を繰り返し、歌いましょう。そして1日中、・・何をしているときも、心の中に・・讃美が鳴り響いているようになるまで歌いましょう。」と、おすすめしましたが、今、私のこころに讃美がなりひびいています。それは<たまに>ではなく<いつも>のことです。
 今、こころになりひびいている讃美は、

 罪は緋のごと 赤くあるとも
 神は雪より  白くしたまわん
 こは主の 堅き御誓いぞ
   罪は緋のごと 赤くあるとも
     神は雪より 白くしたまわん

 友よ聞かずや いとも静かに
  「我に帰れ」と 招く御声を
 御恵みは実に 豊かなり
  友よ聞かずや いとも静かに
    「我に帰れ」と 神は招くを

 神はすべての 咎を赦して
  もはや御胸に 止めたまわじ
 「仰げよ」と主は 宣うなり
  神はすべての 咎を赦して
    もはや御胸に 止めたまわじ
(インマヌエル讃美歌 223)


 私は、「神、主よ。どうぞ、私のつぶやきをお忘れになってください。」と祈りましたが、この讃美とともに、神がお忘れくださった<もはや御胸に止めたまわじ>と信じました。

 ずっと述べてきましたように、神に近づく道はいろいろあります。
 讃美を取り上げましたから、私たちの教会の讃美の集会をご紹介しましょう。
 讃美の集会は2種類あって、ひとつは祈祷会のうち月に1回、出席者から希望の曲を募って、8~10曲くらい、続けて讃美をしています。リクエストした人はその讃美歌に信仰の思いを込めていますし、一緒に歌う人々はそれに和します。
もうひとつは、3ヶ月に1回、日曜日の午後、各人の記念日に関するリクエストをし、讃美の集会をしています。
 讃美が私たちの信仰を豊かなものにすることを感じさせられます。

 アブラハムのしもべが、ラバンとベトエルに述べている言葉の中のこのひとことをご存じでしょうか。

「・・そうして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、<主を賛美しました>。主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。・・」 アブラハムのしもべは、神が主人の息子に伴侶を備えて下さったのを、確信し、礼拝して感謝し、<讃美>したのです。
 讃美は、神の恵みにたいする感謝とともに溢れ出るでしょう。

そればかりではありません。信仰生活も次の讃美の通り<みなままならず>であることが多々あります。

 祈れ物事 みなままならず
  胸に憂いの 雲 閉ざす時
    祈れ よし道は暗くあるとも
    祈れすべてを 主の手にゆだねて

 祈れ心を 静めて神の
  旨は如何にと 知りうるまでは

 祈れ世につく 思いは死にて
  人を取り成す 身となるまでは

 祈れ点なる 使いの歌に
  胸も嬉しく 轟くまでは
(インマヌエル讃美歌134)

 この讃美歌のとおり、<胸に憂いの雲閉ざす時>この讃美歌がこころに響き渡りました。そしてこれを実際に口に出して歌いました。そして助けを得ました。
 讃美はなんと大きな働きをすることでしょう。

「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」
(ヤコブ 5:13)