同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(2) —

野澤 睦雄

「ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。」(マルコ 15:10)

<2.各論>
(1)ねたみ


 まず「ねたみ」ということを取り上げてみたいと思います。


 インターネットにこんな一文が載っています。
・・・アンジャッシュの渡部健は、佐々木希と結婚して、日本中の男の嫉妬を買った・・・ (つまり、日本中の男と表現されていますが、少し範囲を狭めて芸能人仲間の男たちとして、彼らは面と向かっては祝福するが、陰で呪っているということでしょうか。あるいは呪うほどではなく単に羨ましいなあと思っているだけということもありますが。)


 ねたみは隣人に対して抱くこころの思いのひとつです。その対象となるものは、富、名誉、地位、夫、妻、恋人、家庭、等々ありとあらゆるものがそれに当てはまります。  もうひとつの特徴があって、それは自分の求めているものを、<身近な>ひとが得た場合に起きてくるということです。もう自分とは全く関係ない、となるとねたむということはあまりないでしょう。たとえば、お金は欲しいものであっても、ビル・ゲイツが世界一の長者になっても、他の誰かがなっても、私たちがそのひとをねたむということはほとんどないでしょう。同じレベルの金持ちたちの間では互いにねたみあっているかもしれませんが。


「喜ぶ者といっしょに喜び、・・・なさい。」 (ローマ 12:15)



皆さんも、身近な人が自分の欲しいと思っているものを与えられて喜んでいるとき、いっしょに喜べるか、それともねたんでしまうか、こころに葛藤を覚えたことはありませんでしょうか?

 さて、「ねたみ」について聖書はなんと語るのか、そう思って聖書を読んでみると早速困ることに遭遇しました。

 イエスは、 「人から出るもの、これが、人を汚すのです。 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ 7:20-23) といわれ、ねたみをひとの心から出るひとを汚すもののひとつに数え上げられました。
 一方、神はこう言われました。
「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。」(出エジプト 34:14)
ここに、ねたみは神の名であり、神はねたむ方だと宣言されています。
「・・・主はモーセに告げて仰せられた。「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。・・・それは彼がおのれの神のためにねたみを表し、イスラエル人の贖いをしたからである。』」(民数記 25:6-13)
 ピネハスは神のねたみを表したと神が喜ばれているのです。


 それで、「ねたみ」とひとつのことばで表現されていますが、一緒に扱うことは困難ですので、まずイエスの言われた方の「ねたみ」について考察を進めることにします。

 ねたみは、ひとのこころの中にあって、ひとを悪い行動に走らせる動機になります。


<カインの例>
 「ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。そこで、主は、カインに仰せられた。
「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。・・・」(創世記 4:1-11)


 カインは、神にささげ物をもってきたのでした。弟のアベルもささげ物を神に持ってきたのですが、アベルのささげ物は受け入れられ、自分のものは受け入れられなかった。
 二人の行動の近さが問題でしょう。カインはきっとアベルをねたんだことでしょう。彼のねたみは激しく、アベルを殺してしまうほどでした。


 わたくしたちも、よく自分のこころを観察し、「カインの道」(ユダ 1:11)にいってしまいませんように。

(仙台聖泉キリスト教会員)