同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ ムードメーカーは仕える人 ~

石井 和幸

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(ヤコブ 4:8)

 3月は、一緒に住んでいる叔母が誕生日を迎えました。私たち家族は、私たち夫婦に子ども2人、両親と妹、そして叔母の8人家族です。
誕生日には、今年も叔母の好きなすき焼きを食べながら、家族で祝うことができたことを感謝しています。
 かつて、私が子どもの頃も3世代家族、叔母を含めた8人家族でした。ずっと、今に至るまで我が家の食卓を盛り上げてきた一人であります。
ただ、私が子どもの頃は仕事が忙しく、帰りが遅くなることもしばしばありました。それでも、常に子どもと接するときは持ち前の明るさで話を聞き、ともに笑い、決して子どもの会話をさえぎるようなことはしない人でありました。
 私との思い出はたくさんありますが、東京までプロ野球を観にいったことが特に印象に残っています。
1度目は鈍行列車を乗り継いで球場へ、延長戦になっても最後まで観戦し、夜行列車に乗って帰ってきました。
2度目は私が大学生のとき、朝5時に球場に着いて入場券を買えるように車で仙台を出て、ヤクルトスワローズの優勝決定戦を最後まで観て、休み休み交代で車を運転して日帰りしたことを覚えています。
また、私が当時教会にて「JOSHUA」というバンドを組んで音楽伝道をしていたとき、教会を去っていった同年代のメンバーの代わりにバンドに加わり、ともに主のわざに励んでくださったことは忘れられない思い出です。
 私は就職してから結婚するまで、家族とは別のところにアパートを借りて住むということをさせていただきました。
婚約期間中に祖母が召されましたが、叔母は祖母との最後の数か月をつきっきりで過ごしました。
その後、叔母はどのように生活していくかという決断をしなければなりませんでしたが、残された家族とともに暮らすことを選択しました。
 私たち夫婦に長女が与えられて、2年経ったとき、私は13年ぶりに実家に戻り、現在の3世代同居生活が始まりました。
そのとき、私は「主によって変えられた」叔母の姿を見ました。実は、ちょうど一緒に東京に野球を観にいってた頃、私と叔母は、当時家族のために祈り仕える祖母に対して、「そこまでする必要はないし、そこまで心配しなくても大丈夫だよ」といった内容のことを随分口にしたことを覚えています。
しかし、現在の叔母は心から家族に仕え、徹底して私たち家族のことを考えてくださる人となり、その仕える姿は祖母と似ています。
そのとき、その場面において、誰の意見を大切にし、誰の行動を助けるべきなのか良く捉え、何より子どもたちを大切に愛することをしてくださっていて、とても感謝しています。もちろん、昔も今もムードメーカーであることには変わりません。
しかし、自分本位・自分を顕示し誇るそれとは真逆で、食卓に叔母がいないと、また、例えば教会の集会が終わった後に叔母がいないと、もの足りなさを感じます。子どもたちや両親の話をちゃんと受けとめてくれる人の存在がいかに大事かということに改めて気づかされます。
   私が関わる事業・会社において、工場長であった叔父夫婦が引退した際、後任の職員がなかなか与えられなかったときに、申し出てくださったのも叔母であります。
長い間、保母をしていたので、ある意味畑違いの仕事でありましたが、当初から物怖じせずに一生懸命仕事に取り組む姿に私は驚きました。
特に、私も含めて従来の店員はお客さんが入ってきてもずっとレジ前で待っていることが多いのですが、叔母の場合は基本お客さんのすぐ脇につきます。そうすると、お客さんはいろんな情報や要望を店員の叔母に対して話してくれます。
そして、私が「そこまでやらなくてもいいのに・・・」と思ってしまうこともお客さんのためを思って徹底して仕える姿に今も学ばされています。
 教会では、叔母は婦人伝道師とよく話をし、ともに仕える機会が多く与えられています。
ハンドベルグループ「ウィズティアーズ」のリーダーとして、いつも笑顔で讃美を奏でる姿は、主によって変えられつづけている彼女を象徴していると思います。
主は、ご自身に近づく者を変えて下さる、しかし、その人が持っている賜物、個性まで奪い取ることはされずに、むしろ相応しく生きる場所を備えてくださることを改めて覚えました。
 私も、主がそのように変えてくださることを信じ、なお従順に生き続ける者でありたく願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)