同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 神様の導きを信じて —

kazuko-san

茂永 和子

「あなたの戒めの道を私に悟らせてください。
私が、あなたの奇しいわざに
思いを潜めることができるようにしてください。」
  (詩篇:119篇27節)

 今年も早3ヵ月が過ぎ、年度変わりの時を迎え、教会の若い方々も新しい歩み出しをしようとしています。
 私たちの教会では、礼拝、集会で座る席が決まっており、小学1年生になるとお父さん、お母さんとは別に一番前の席になります。
教会学校幼稚科の生徒だった石井謙悟くんも新しい聖書と讃美歌の入ったリュックを背負いながら自分の席に着いています。
大人と同じ時間そこに居続けることは大変なところもあると思いますが、まだあまりわからない時から、神様の愛と恵みはその人格に注がれているとことを思います。
 礼拝のメッセージの中で、日本においてキリスト教が文化となっていかなければならないことが語られていました。神が一つ一つ導き、形づくっておられること、正しくものごとを形成されていくものに宗教が必要であり、整えられていくものになることが語られていました。
 それは、地道な日々の営みの中、長い時間を掛けて築き上げられていくものです。
整えられていくために、自分に与えられている課題に取り組み続けていかなければなりません。
 教会では毎年12月、クリスマスを覚えて、メサイヤ礼拝と外のホールを借りてのクリスマスコンサートが行われています。そのところにお誘いし、来て下さる方々も少しずつ定着していることを感謝しています。
同じ職場の方も、ご家族で何度か来て下さっています。昨年はその方のご主人が親戚の方に声をかけて、来て下さったこと、その輪が少しずつ広がっていることを感謝しました。
 神様が一つ一つ導いておられること、進めようとしておられることを、自分の考えや怠惰のゆえに妨げてしまうことがないようにしなければならないことを思います。
そして、一人でも多くの人を救いに導こうと願っておられる神様の愛に応えて行きたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会会員)