同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 主は心を見る ~

石井 和幸

しかし主はサムエルに仰せられた。『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』(サムエル記Ⅰ I6:7)
『もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』(ヨハネI 1:9)

 私には子どもが二人おりまして、一番目が長女で小学四年生、二番目が長男で小学一年生になります。
私の家庭は祖父の代からクリスチャンホームでありますが、私の父は長子であり、私も三人兄弟の長子であります。
長子は、子育て初挑戦の親の影響を真っ向から受ける立場です。
けれども、まず家庭の真実を受け取る側も素直に受けようとする姿勢が、私の父も、私自身もあったと思います。
不器用な私ではありましたが、イエス・キリストの救いに与り、祖父の代から父の代へと続いてきた信仰を継承できたこと、今こうしてクリスチャンホームを建設していることをとても感謝しております。
 さて、私たちの家庭に主なる神が与えてくださった長子は女の子でありました。
妻は長子の長女でありますが、私にとっては初めて経験する家族構成です。ここまで子ども二人の成長が神によって守られたことを感謝するのと同時に、私たちの家庭になされた神の不思議な導きを痛感しています。

 今、この同労者の原稿を執筆するにあたり、私の心に響いているのは長女が、 昨年小学校の担任と関わった出来事です。
長女は、毎日学校からの課題で『2行日記』というものに取り組んでいました。
教会で集会や行事のある日、娘は必ず教会のことを『2行日記』に書きました。その日記に対し、担任である若い男の先生は、理解と興味を示してくださいました。
ある時社会科の授業で、学区内の神社・仏閣を見学することになりました。
教会のなかで豊かに育てていただいていた娘は、そのことに違和感を感じ、前日になって『明日の校外学習に行きたくない』と言いだしました。
私たち夫婦は相談し、学校の連絡帳に、家庭の事情で早退させる旨を書き、当日娘に持たせました。しかし娘は担任の先生に、自分が校外学習に行きたくない本当の理由を伝え、先生から妻に電話がかかってきま した。
『私の配慮が足りず、本当に申し訳ありませんでした。』担任の先生は妻にそう言って、娘に対しては急遽、神社・仏閣が記載されていない社会科の宿題を与えてくださいました。
そのことがあってからしばらくして、今度は担任の先生から「真実さんの通っている教会をぜひ、『まち探検』という授業の一環で訪問させて欲しい、これなら、真実さんも喜んで参加できますよね」と申し出がありました。
まち探検当日、山本牧師と咲姉妹が『まち探検』のために時間を割いて準備してくださり、娘もそこに携わることができたことを本当に感謝しております。
一部のクラスメートからかつて、『神なんかいないよ』ということばが出て娘が悲しい思いをしたこともありましたが、娘はそのクラスメートのために祈りました。
教会にたくさんのお友達がきてくれるようにという、娘の小さな祈りに主がこのような形で答えてくださったことを、私は本当に感謝しました。

 学年末に配られた通知表において、担任の先生はこのことを良く評価してくださいました。
私は、この一連の出来事について、単に担任の先生が娘の宗教性に興味を持たれ、理解を示してくださったからだと思っていました。
しかし、こうして今振り返ってみるときに、担任の先生は、娘の心根をちゃんと見てくださり、それを優先されたのだなと思わされます。
娘が日記に「今日は書道教室に行 きました。『真実』と書きました。」と書いたことがあります。
先生のコメントには「真実はいつも一つ!」と書かれていました。
人気のアニメのセリフではありますが、先生が娘の名前を真実と結びつけて捉えてくださったことに、私は喜びを覚えました。
 先日、娘は私に「お父さん、私は自分の名前の通りおばあちゃんになっても『真実』に生きることができるかな?」と質問しました。
私は「神様から離れないようにしていこうね」と答えつつ、神から託された子どもたちとともに、真実に生きるチャレンジを、改めて確認しました。
 私たちの心を見て、帯同してくださる主に、なお謙ってともに家庭と教会の建設に取り組んで行きたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)