同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 神に近づく (35) —


「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」(ローマ 8:6)

神に近づく人に与えられる平安について考察を続けましょう。

 平安についてイエスが言われたことはこうです。 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」(ヨハネ14:27)
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。」(ヨハネ 16:33)
「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
  イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。・・・」」 (ヨハネ 20:19-22)


 イエスが述べている平安は、「患難」の世に生活しながら持っているものです。患難があるということは、穏やかな生活ができている状態ではありません。

 繰り返し述べていますが、「キリストの平和」、「平安」、「安息」と表現されている事柄がどのくらい大切なものに見えているでしょうか。私たちは大切だと思うことを忘れはしません。イエスは大切なもの(宝)を見つけたら、全財産を払っても手にいれるものだと言われました。「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイ 13:44)

「キリストの平和」は代価を払って獲得すべき「宝」です。
 私たちは大切なものは、大切なものに相応しく扱いますし、大切でないものはそれなりに扱います。
パウロは手紙を書くとき、まず相手を思い、その方々に対する祝福を神に祈って書き始めています。この際、それらを全部読んでみようではありませんか。

「 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(ローマ 1:7)

「コリントにある神の教会へ。・・ 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(コリントⅠ 1:2-3)

「コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(コリントⅡ 1:2)

「ガラテヤの諸教会へ。どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(ガラテヤ 1:2-3)

「エペソの聖徒たちへ。 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(エペソ 1:1-2)

「ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(ピリピ 1:1-2)

「コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(コロサイ 1:2)

「父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(テサロニケⅠ 1:1)

「私たちの父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。 父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(テサロニケⅡ 1:1-2)

「信仰による真実のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主なるキリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とがありますように。」(テモテⅠ 1:2)

「愛する子テモテへ。父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」(テモテⅡ 1:2)

「同じ信仰による真実のわが子テトスへ。父なる神および私たちの救い主なるキリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。」(テトス 1:4)

「私たちの愛する同労者ピレモンへ。また、姉妹アピヤ、私たちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(ピレモン 1:3)


 手紙の書き出しに「拝啓」とか「主の御名を讃美いたします。」と書いてあってもあまり関心を払わないのではないでしょうか。しかし、パウロの手紙の書き出しはそのような紋切り型のことばで始まっているのでしょうか。
 パウロ自身が述べているのは、「涙と祈りと感謝を持って」です。
パウロは「平安」を神の「恵み」と同列に置いています。パウロもイエスと同じに、手紙の受取人たちが迫害と患難にあることを承知で、「患難を除かれますように」ではなく、「平安があるように」と祈っているのです。