同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— ランディ・ジョンソンの少年野球教室 —


 テレビをつけるとたまたま目にとまる放映がされていた、ということが多い。先日もたまたまテレビをつけたら「人生の楽園」という番組で私のいなかの風景が放映されていた。西岳(西にある山の名前)、奥中山小学校、酪農、宿、喫茶店とか・・最後のほうで、ほんのちょっぴりしか見られなかったが。「故郷の山に向かいていふことなし、故郷の山は有り難きかな」というところか。

これは前置き、先日これもたまたまテレビをつけたら、ランディ・ジョンソンが日本のテレビ局に招かれて、少年野球教室をやっていた。大リーグに名を残した彼は、少年たちに教えることにも大変上手であった。
ユーチューブでその内容をみることができる。

https://www.youtube.com/watch?v=qNGFwHbR9Kw

教えを受けることがいかに大切か、それは彼自身が経験したところだったとのこと、上記のユーチューブの見出しにもそれが載せられている。

「2018/06/04 に公開
2m8cmの大男のランディ・ジョンソンは入団5年目くらいまではノーコンだった。そこで相談したのが、大投手のノーラン・ライアン。アドバイスは「かかとで着地するから、フォームがくずれるんだ」「踏み出す時に、拇指球でバランスをとってごらん。コントロールがよくなるし、球威も増すよ」ノーランライアンから教えてもらったとおりに投げたら、本当に自分のピッチングがよくなったんだ。僕にとって本当に役立つアドバイスだった。拇指球でバランスをとることがいかに大事か身に染みてわかったよ。すべてが簡単にできるようになったんだ。」

最後に彼は少年たちにこうアドバイスした。ことばは彼が述べたとおりではないが、その内容は、
「君たちは、もっと速い球を投げたいとおもうだろう。だが最初にフォームをしっかり身につけることが大切だ。成長し、からだが大きくなり、力もつよくなれば、速い球は投げられるようになる。君たちの年齢では、まずフォームだよ。」

 信仰に生きるには、フォームがある。かつて私の先生が礼拝説教で「信仰のこころ構え」ということをよく話された。構えはバッターのイメージが強い。投打といわれるように、フォームと構えとの両方をしっかり身につけることを考えよう。そしてそれには、教えてくれるひとを必要とする。神はそのために牧師を置かれた。
教えてもらうことは若い人ほどよく身につけることができるに違いない。よりよい信仰に生きるために。