同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 政教分離 —


 「信教の自由」と「政教分離」とは、日本が敗戦という苦い経験を通し、進駐軍に半ば押しつけられて獲得した社会の理念である。
しかし、歴史上の経過はいかなるものであれ、この二つは私たちにとって、非常に大切なことである。

戦争した時代、政治が強力に宗教に介入した。その結果、キリスト教会の多くがその力に対抗できなかった。
先輩信者たちは戦争に加担した、私たちは反省しようという人々がいる。しかし、その行動の仕方には知恵を要する。

ジェファーソンはいう。私たちがイエスの時代にいたらもっとイエスをよく理解できたであろうというな。あなたがたがその時代にいたらきっと一緒に「十字架につけろ!」と叫んだに違いない、と。 同様に戦争の時にその場にいたら、どのように行動できたかわからない。 お隣の国、中国では、今も政治が強力に宗教、特にキリスト教に介入していることを伝え聞いている。 日本では、先に述べた二つの社会理念が通用しているために勝手なことえいえるのである。

 逆に宗教が政治に介入している国々が数多くある。ことにイスラム教をが国民の多数を占めている国々にそれがある。

 私たちも、一般の市民、国民として、政治に参加しても差し支えないことは無論のことである。 それが私たちにとって夢中になるべきテーマであるとは、私には思えないが。


教会、キリスト教の団体が、政治活動することは問題である。
戦時の苦い経験を反対の立場で行っていることになる。
イエスは政治活動など決して行わなかったことを記憶すべきであり、私たちはイエスに倣うべきである。
世の力は大きく、強い。キリスト教の団体が政治活動していると、いつかきっと、「しっぺがえし」を喰らうことになるだろう。