JSF&OBの部屋
~ 私はどこに向かっているのだろうか ~
齊藤 恵一
会社で私はタイヤの性能を測定する部署に勤めています。2人一組の試験をしているのですが、もう一人はもうすぐ定年の年配の方です。勤務時間をずらしてなるべく1日の試験本数を多くするために、2人一組になっています。ですので、相方が試験室に入ると私は全然別の試験につきます。そして相方が帰ると私は戻ってきて続きの試験をします。
相方は目が見えないせいかパソコンの入力作業のミスが日に日に目立ってくるようになりました。そこで私はその人の為にパソコン作業を軽減するための仕組みを作りました。
最初は喜んで使ってくれていたのですが、段々と昔やっていたやり方に変わっていきました。すると、また入力のミスが増えていき、大事なデータでのミスという事もあり、会社に大きな損失をもたらしてしまいました。
そこで私もパソコン作業を軽減するための仕組みを見直したところ、一つのファイルにプログラムを入れすぎた為に動作が重くなり画面のフリーズが頻繁に起こることに気付かされました。
相方はその使いにくくなった仕組みを改善してくれと主張するでもなく、いつの間にか昔のやり方に変え大きな問題へと発展していきました。
しかしこのような事は私自身にも起こることで、何度もデータの確認を行い、これで良しと思って提出した報告書が全然別のタイヤのデータだったなど、例を挙げればたくさん出てきます。
信頼を得るという事はどのようにすれば得られるのでしょうか。同じミスをしてもある人は怒られ、ある人はまぁまぁそんなこともあるさと軽く扱われます。
同じ良いことをしてもある人は良くやったと言われ、ある人はできて当然だと言われます。
冒頭の聖書の御言葉は年老いたアブラハムが息子イサクの妻を見つけるために信頼していた「しもべ」をアラム・ナハライムに遣わす際の出来事です。そこまでアブラハムと共に歩み、イサクの妻を見つけるという重要なミッションを行おうとしているにも関わらず、この遣わされた人物は聖書では「しもべ」とでしか出てきておらず、名前が定かではありません。
先程の私の会社の事ですが、仕組みを改善しましたが、それは私が一から作ったのではなく、元々作ってあったものに少し手を加えただけです。それは、何十年も前から誰かの手によって作られた仕組みが今現在も使われています。名前を見ると誰だか全くわかりません。もうやめた方なのか別の部署に異動になった方なのか。しかし、私にはわからずともその方々が今の職場の仕組みを一から作り上げ名は残っているけれども誰だかわからないような面識のない者がそれを使って恩恵を受けています。
そのようにアブラハムの信頼するこのしもべもアブラハムとの約束、そして神とアブラハムとの契約を地に落とすまいと老体に鞭を打ってアラム・ナハライムまで向かったと思います。自分自身のことは形振り構わず、ただその約束が実現するようにと思って行ったのかもしれません。しかしこの事でイサクの結婚が導かれアブラハムの子孫は絶えることなく続いていきます。そしてイエス・キリストへと繋がっていき、現在の私たちもその恩恵を受けて生きています。
私たちの生活はもちろん身近にいる人や私たちの知る人たちによって形づくられていますが、目に見えない神や名もなき人たちのご苦労によっても成り立っていると思います。
本当は感謝すべきことが周りにはいかに多いかという事を色々な場面で感じます。そしてその思いを深め私もアブラハムに信頼されたしもべのように自分の為ではなく誰かの為に、自分の為ではなく愛する家族の為に時に名もなき従者として、そして時に名もなき主人となって、あらゆる求めに応じ信頼を得ていき、そして神と人とに喜ばれる者になりたく願います。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)