同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖書信仰-6 —

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテⅡ 3:14-17)

 引き続き<教え>を考えたいと思います。
今回はパウロの神観を学んで見ましょう。
パウロを知るためのテキストは、使徒の働きと書簡です。

  アブラハムは、「そして、(神は)彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」 彼は主を信じた。」(創世記 15:5-6)と言われたとき、空を見上げて神の偉大さに触れたことでしょう。この箇所は彼が神を信じて義とされたことに関心が集まり、アブラハムの神観は忘れられがちです。
先に取りあげたダビデの神観となった、
「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、・・」
という彼の歌にも天を仰ぐことが歌われています。

パウロは、
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる・・」(ローマ 1:20)と言いましたが、「そうです!」と言う声があまり聞こえません。人は罪によって心を暗くされていて、自然を見ただけではそこまで悟ることができないと考えるからです。しかし、アブラハムとダビデの場面を一緒に考えれば、パウロの見ていた、そのことに関する神観に納得するでしょう。私たちも空を見上げて、パウロの神観に思いを巡らすとよいと思います。

「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」 (ローマ 8:31)

私たちは、自分の方から、神は心の中の問題は助けてくださるけれども、世の中における生活、その様々な問題には、関与してくださらないお方にしていませんか?
実際の場面における対処は、なんと知恵と技量を必要とすることでしょうか。しかし、その前に、「神は私の味方です。」というパウロの神観を、自分の神観として深く心に刻んでおきましょう。

 パウロの神観、他に多くの事柄があります。聖書によってそれを知らせていただき、私たちの神観としたいものです。