同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 主にあって人格と関わるために —

石井 和幸

「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ 2:6-7)

  今年1月より、私の職場でクリスチャンの男子学生を1人アルバイトとして採用しました。キリスト者学生会(KGK)スタッフからの紹介で、私が入社してからは初めて、私とは別な教団・教会の信徒が従業員として働いてくださっています。私にとって、その兄弟がアルバイトとしてともに働くことは主からの大きな恵みであるのと同時に、他教会の一人格と関わるとても緊張するひとときです。兄弟は私たちの会社にて、喜び感謝しつつ一生懸命仕えてくださっています。この導きを通して私はもういちど主の前に遜り、日々の働きについて変革しなければならない必要を示されました。特に私自身の心得として示されていることは、以下に記す3つの事柄です。このことは以前から私自身に示され続けてきた課題であります。
① 誰とでも分け隔てなく、同じように接する。
② 怒りをあらわにしない
③ 自分のことを自慢しない
この3つは私の本当に苦手とする事柄であり、相手によって行動を変えたり、思うようにならない時にすぐに感情に出てしまって、周囲を悲しませたりしていたことを覚えます。

ある金曜日のことですが、私が勤める工場の天井クレーンが故障してしまい、午後3時になってやっと修理業者が到着し修理を始めました。しかし5時を過ぎてもなかなか修理が終わらず、難航しているとの報告を受けました。
・・・実はその日の夜、私は「まん延防止処置」が解除になって初めて某スポーツジムにてレッスンを受ける予定を入れていて、久しぶりに会う仲間との再会を心待ちにしていました。
私は横にいる妻に、「やっぱり僕は(責任者として)クレーンの修理が終わるまで会社に残ったほうがいいよね?」
と話すと妻は、「じゃあ私が最後まで残ろうか?」と返答しました。
私は単に自分がやりたいことが出来なくなる可能性が出てきたのでイライラしていることに気づき、自分は「修理が長引いている現実」を受け入れたくないから「怒り」を持っていること、この状態で職長や修理業者と打ち合わせをしても、良い結果が生まれない、それに加え(自分はクレーンが直るまで残業している職長や修理業者を何だと思っているのか?)とハッとさせられました。
結局その後関係者で協議し、翌週新しい部品を購入して修理を完了することとなり、その日の仕事を終えてスポーツジムにも行くことができましたが、私は先述した「誰とでも分け隔てなく、同じように接する」ことに加えて、「どのようなときでも冷静に、同じ調子で接する」ことの大切さを痛感し、またそれによって「怒り」そのものも収めることが出来ることを、恥ずかしながら今になってやっと気づくことが出来ました。
 私たちの教会では、神より示されたことに従順であることの幸いについて語られており、私の子どもたちもそのなかで育まれています。たとえ、言葉では「従います」と答えていても、その態度は神に背を向けているような気風を親が持ってしまっていれば、子どもたちはすぐ察知します。
 小さき者ではありますが、神からの示し、課題である「隣人を愛する」ことになお取り組み、日々主なる神からの光と細き御声を捉え、御従いすることができる者となれるように、祈っていきたいと願っています。

kazuyuki-san

宮城県塩竈市寒風沢(さぶさわ)島にて

(仙台聖泉キリスト教会 会員)