同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖書信仰-11 —

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテⅡ 3:14-17)

 神に「矯正」された人物は誰かいないかと考えますと、預言者ヨナが思い当たります。
 ヨナ書を読んでみますと、ヨナは神と大変親密な関係にあり、神は彼をねんごろに取り扱っておられることがわかります。預言者の多くはその語ることばが主体となって取り上げられているのに対し、ヨナ書ではヨナ自身を神がどう取り扱われたかが語られていて興味深いのです。
 イエスはご自分の死と復活のモデルとしてヨナを取り上げ、それが実際に起きたでき事であったことを示しておられます。
「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。 ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。」(マタイ 12:40-41)
とあるように、ヨナが魚の腹の中にいたことも、後にニネベの人々が悔い改めたことも真実でした。
 ヨナが働いた時期は、アハブ家を滅ぼしたエフーのひ孫ヤロブアム2世の時代です。
「ユダの王ヨアシュの子アマツヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムが王となり、サマリヤで四十一年間、王であった。彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪をやめなかった。彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。主がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたからである。そこには、奴隷も自由の者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。」(列王記Ⅱ 14:23-27)
ここに出ているヨアシュはエリシャが死ぬとき、「イスラエルの王ヨアシュは、彼のところに下って行き、彼の上に泣き伏して、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んだ。」(列王記Ⅱ 13:14)人です。
ですから、預言者の系列では、ヨナはエリシャの次の時代になります。
神がヨナにニネベの町に宣教せよといわれたそのニネベは、イスラエルとユダに攻め込んできているアッシリアの首都でした。
「アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」」 (ヨナ書 1:1-2)
ニネベの地理上の場所は、イスラエルの北東、チグリス川の上流に位置します。
ヨナが逃げていこうとしたタルシシュは、今のスペインで、ニネベと反対側、イスラエルからほぼ西、はるかに遠い地中海の西岸です。船に乗ったヨッパは今のイスラエルの海岸のほぼ真ん中にあるテルアビブの一部になっています。
「しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。」(ヨナ書 1:3)
真の預言者が神のみことばに背くということは、前代未聞のできごとですが、ヨナはそれをやってのけました。
なぜそうしたのか、聖書には書いてありません。しかし、彼は敵国の人々が悔い改めることを望まなかった、むしろ彼らがますます悪を行い、神の裁きが彼らの上に臨むことを願った、ということでしょう。
 神はヨナが乗ったタルシシュ行きの船を嵐に遭遇させ、彼を船乗りたちの手で海に投げ込ませました。ヨナ自身この嵐の意味を知っていました。
「彼らはヨナに言った。「海が静まるために、私たちはあなたをどうしたらいいのか。」海がますます荒れてきたからである。
ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」(ヨナ書 1:11-12)
神は海に投げ込まれたヨナが死なないように計らいました。
「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」(ヨナ書 1:17)
 それによってヨナのこころに変化がおき、彼は祈りました。
「ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。
・・・
 しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。」(ヨナ書2:1-10)
 神は再びニネベに行って神のことばを伝えるようにヨナに言われました。彼は今度は神のご命令通りニネベに行きました。 「再びヨナに次のような主のことばがあった。「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」
ヨナは、主のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。」(ヨナ書3:1-6)
「神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。」(ヨナ書3:10)
 ニネベの人々がなぜそんなに早くヨナのことばを受け入れ、悔い改めたのかということも聖書に書いてありません。恐らく、海が荒れて船が沈没しそうなので、一人のヘブル人の預言者を海に投げ込んだら、嵐がおさまったできごとが、船乗りから陸をゆく隊商に伝わり、ニネベにも伝わっていたのであろうと推測されます。その預言者は、ニネベが悔い改めないなら神が滅ぼされると言えと神に命令されたが、それを拒んで逃げてきたことも。神はヨナのことばだけでなく行動をもお用いになったのであろうと思います。
 しかし、自分が宣べ伝えたとおりにニネベが滅びないので、ヨナのこころはおさまりませんでした。
 彼はエリヤが気落ちしたとき言ったのとおなじことを神にいいました。「私のいのちをとってください。」と。
「ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」(ヨナ書4:1-3)
神はヨナをなだめるために、とうごまをはやし、次に枯らして、神のこころを示す実例とされました。神がヨナをなだめるなんてとてつもないことですが。
「・・ ・
神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。
・・・」(ヨナ書4:4-9)を読んでください。
「主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」」(ヨナ書4:10-11)「右も左もわきまえない」のは子どものことだと言われています。
 そこでヨナ書は終わります。この神の教えにヨナは、・・ぐうの音(ね)も出なかった・・のです。
 こんなにねんごろに扱って頂いたヨナは幸いでした。