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キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(7) —

野澤 睦雄


「わたしは注意して聞いたが、彼らは正しくないことを語り、『私はなんということをしたのか』と言って、自分の悪行を悔いる者は、ひとりもいない。」(エレミヤ書 8:6)

1.救いに至る道

 ・具体的罪に対する認罪
 自分が罪を犯したことを知っていても、それが認罪にならない、単なる知識になっていることが救われていない人々の普通の状態です。ですから単なる知識は「闇」であって、その罪の問題に光があたっていないことになります。
 「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」(マタイ 19:16) 
という質問をした青年に、イエスはこう答えています。ルカの福音書ではこの人は役人と記されています。
「イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」彼は「どの戒めですか」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ 19:17-19) 
それに対して、この青年はこう言いました。
「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」(マタイ 19:20) マルコの福音書の記事では「小さい時から」と加えられています。
 イエスは「永遠のいのちを得るためにモーセの律法を守りなさい」とも受け取れる回答をされました。
律法の働きは新約聖書の書簡に解説されているとおり、人の罪を明らかにすることにあります。
この若い、富んだ役人は、イエスの指摘された律法を、自分が守れていないことを悟るべきでした。彼は富んでいました。
イスラエルのひとびとの多くの現状は、バプテスマのヨハネが、悔い改めの実としてこういうことをしなさい、といっていることから垣間見ることができます。
「群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」」(ルカ 3:10-11)人々がこれを聞いて、そうしようと思うような生活水準でした。
 この若い役人は隣人を自分自身のように愛していなかったことに認罪を覚えなければなりませんでした。そしてイエスの救いを求めることが、永遠のいのちの入口でした。
「イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。
「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」」 (マルコ 10:21)
イエスは彼をいつくしみましたが、救いの門を広くすることはお出来になりませんでした。
すべての人がそれぞれの狭い門を通らなければなりません。

(仙台聖泉キリスト教会員)