同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 助手席に光明牧師 —

石井 和幸


「私はすでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」(ピリピ 3:12)

  2012年の8月だったかと思います。私たち夫婦と、子ども2人は2泊3日で行われた教会の中高生による音楽合宿に同行しました。
2日目の夜に、一足先に私たち家族のみ仙台へ帰るというときに、先日召天された山本光明牧師とご一緒させていただきました。
合宿会場の山形県朝日町から仙台まで車で2時間ほどの道のりです。この長い時間、私は緊張しながらハンドルを握らなければならない覚悟をしていました。
車を走らせて間もなく光明先生は、「私(わたくし)はね、和幸君たちの車に乗せてもらうと聞かされてから、車中で何を話そうか、ずっと考えていたんだよ」と優しく語りかけてくださいました。
子ども2人は当時まだ小さく、夜遅かったのですぐ寝ました。
私たち夫婦にとっては子育てが始まって4年目、先生に伺いたいことは沢山あったように記憶しています。
先生は「そのことはね、(山本嘉納)牧師に聞くといいよ」「この話は同労者に書いちゃダメだぞ」などと、詳しく、優しく私たちの質問に答えられたり、先生ご自身の貴重な証とメッセージを聞かせてくださいました。
仙台に着くまでの約2時間があっという間に過ぎて、とても感謝で楽しいひとときでありました。
どうして光明先生との2時間が、ちっとも長く感じなかったのだろう?と今も思います。そして光明先生との「対面」に私が夢中になり、魅了されたように、私も隣人に対してつまずきになるのではなく、むしろ徳を高め合う人格との交流を目指したいと今、強く思わされています。けれども、欠けの多い私にはとても難しいのでは?と感じていた矢先、礼拝にて山本咲牧師が「信仰者である私たちは、この世の欲求を求め、溺れてしまうのではなく、『神の愛を行いたい』という欲求に満たされるのが本当のあるべき姿である。世のしがらみがそれを妨げるが、主の愛に浸るならばそこから解放される」とメッセージをされました。そして「あなたはどうするのですか?『わかっているけどなかなか現実はね...と自分をそこからはずしてしまうのですか?」とも語られました。・・・かの日の光明牧師は、私たち夫婦をいつもとりなしてくださった故に、私たちとの会話の勘所が捉えられ、私たち夫婦は先生を通して示された神の愛に魅了されて、2時間があっという間に感じたのだと、私は整理をすることが出来ました。そして咲牧師を通して主から示された、主の愛を数え、キリストの心を心とする信仰者を目指して、謙遜に励んでいきたいと願っております。

(仙台聖泉キリスト教会会)