同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— これを聞け! —


 これを書いている今日の、聖書日課の一カ所はイザヤ書の48章です。それで皆さんと楽しく聖書日課を読みましょうと思いました。
本を読むことをしなかった人が、「聖書を読め!読め!」と強要されたら、それは正に律法となって「私たちの父祖たちも私たちも負いきれなかったくびき」(使徒15:10)になることでしょう。
うちの教会の先生は、「読めないですか?私がかわりに読んでおきますから。」ちょっと愉快になりますね。
でも年のはじめに、聖書日課表を欲しい人に配ります。前に他のところで紹介したことがありますが、祈祷会には必ず聖書日課の1カ所をテキストにします。もう牧師2代にわたってそうしています。
ですから、信徒の間に共通の聖書日課表が定着しています。皆さん聖書を読みましょう!は変わらないスタンスです。
聖書日課表を使わずに毎年、年1度聖書を完読し続けることは困難だろうと私は思います。
 本を読むことは娯楽です。聖書を読むことを娯楽と言っては申し訳ありませんが、要するに楽しく読めれば困難は解消です。

 さてイザヤ書48章、
「これを聞け。ヤコブの家よ。あなたはイスラエルの名で呼ばれ、・・・」(48:1)
神は彼らの実態をこういいます。
「あなたがかたくなであり、首筋は鉄の腱、額は青銅だと知っている」(48:4)
彼らはこころがかたくなで、聞き従うことをしないのです。それで神はこう言われます。
「あなたは聞いた。さあ、これらすべてを見よ。あなたがたは告げ知らせないのか。わたしは今から、新しい事、あなたの知らない秘め事をあなたに聞かせよう。」(48:6)
パウロはこの秘め事を「奥義」といいました。
神はこう付け加えられます。
「それは今、創造された。ずっと前からではない。きょうまで、あなたはこれを聞いたこともない。『ああ、私は知っていた』とあなたが言わないためだ。」(48:7)
イザヤの時、「今」<新しく創造した>と神は言われました。神の創造のみ業は天地創造の時だけでなかったのです。
「・・あなたの耳は開かれていなかった。・・見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。」(48:10)
神は私たちを「悩みの炉」で精錬されます。
「わたしに聞け」(48:12)
「集まって聞け」(48:14)
「わたしに近づいて聞け」(48:16)

聞けといっておられるお方は、「贖う主」「聖める者」「教える者」「導く者」(48:17)です。

神に聞く人に神はこう約束しておられます。
「わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。あなたの子孫は砂のように、あなたの身から出る者は、真砂のようになるであろうに。その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもないであろうに。」(48:18-19)