同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— いのちの冠 —

齊藤 遥

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ 1:12)

 昨年より祈りの中にありました第2子の出産が今年の8月15日の予定となり、コロナ禍で心配事もありますが、このところまで成長が与えられ守られていることを感謝しています。生まれてくる子にも神様の素晴らしさや福音を伝えて行きたく思っています。

そのような中6月27日に開かれました仙台聖泉キリスト教会創立70周年記念の礼拝と記念を覚えての讃美の集会に出させていただき感謝でした。

礼拝では「キリストのからだなる教会」と題してメッセージがなされました。その中で信仰の成長について語られておりましたが、個人としての信仰を追求するだけでなく、教会の身体、各器官としての信仰を追求することも語られておりました。
私自身、信仰の成長とは個人的な事としてとらえ考えていたものでしたので、教会の器官としての信仰の追及も必要であることを初めて知り、また私たち夫婦にとっても家庭を築く中でとても大切だと思いました。
夫婦も互いに結ばれた関係ではありますが、担う役割が違う場合もあり、時に予想外な夫の言動に戸惑う事もありますが、それは身体の器官の役割がそれぞれ違うのと同じように、家庭を築く上でも夫婦がそれぞれ担う役割が別にあるのだという事を思わせられました。

午後の記念讃美集会では、教会の中で結成されたいくつかのグループがそれぞれ用意した讃美歌を讃美し、各グループのコメントや写真を用いて教会の歴史を振り返るときが与えられました。
私自身もハンドベルのメンバーとKIZUNAのメンバーとCSの小学科のメンバーに入れていただき讃美の御用をさせていただきました。
だいぶお腹も大きく体調も心配してくださった方々もいましたが私にとって大切な御用として立たせていただきました。
それは神様への感謝の讃美と御用にたずさわれる事への感謝と恵みを、お腹の子供の為にも伝えられればと思い立たせていただきました。
主人も私と同じくKIZUNAと讃美の御用がありましたので、娘は自分の席から見ていました。
そして帰りの車の中で「わたしね。見てたよ。」と私たちの姿を喜んで話してくれて私たちの讃美にも耳を傾け、また私たちの姿もきちんと見ていたことを確かめる機会が与えられ、娘にも主への讃美が届けられたことに感謝と喜びを覚えました。
育児や仕事など大変な時も覚えることもありますが、そのような時こそ教会の器官として用いられる事、働ける事が私たちの小さな家庭の助けと祝福につながっており、子供たちも神様の愛の中で育まれていることに感謝しています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)