同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 救われてから10年 ~

森田 忍

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってでもなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ神によって生まれたのである。」(ヨハネ 1:1-13)

 7月7日で救いの恵みを頂き10年が経ちました。この所まで信仰者としての歩みが豊かに守り導かれている事を心から感謝致します。
当時の私は20歳、高校を卒業して就職し、社会人3年目でした。今、記憶を思い返してみると仕事をこなす事よりも職場の先輩との関係でほぼ毎日プレッシャーを感じており、自分の要領の悪さなのか、上司に恵まれていないのかなんなのかと思う日々でした。そんな社会生活を送る中、教会は私にとってそのプレッシャーから一時的に解放され心を憩ませる所でありました。教会にいれば上司からも怒られることはないし、自分は頑張って働いたんだからここはその逃げ場所なんだと思う事が多くあったように思います。その時の私には教会の働きをもっと意欲的に行う事よりも自分の心の癒しを求めることで一杯になっていました。
日曜日が終わればまた月曜日から仕事にいって上司に怒られないように顔色を伺う日々かと思うと日曜日の夜がとても辛く感ずる日々でした。どうしても、逃げたいとか、直属の上司が変わればいいなと思う事が多くなり自分の事ではなく他の事にしか目を向けなくなっていました。どうしてもそのようになると祈りも自らの不安な事を、いち早く取り除いて欲しいという祈りになってしまいます。本当にそれが正しい神の前に祈ることなのかはわからないでいました。しかし、本当は自分がまず成せることを神に祈り、今の自分の働きをまず逃げ腰で行うのではなく、自分の働きに懸命に取り組み続けてみることで神は私に祝福として今まで見えなかったことや実際に働き続けることの大切さを示して下さいました。
救われてからの10年間、私が大きく成長できた部分はこの逃げずに職場で自らの責任を負い続けること、それは家庭においても、教会の働きにおいても共通して恵みとなってあらわれております。今でも、その逃げようとしていた職場での働きができていますことを本当に神に感謝しております。私の教会では多くの兄弟姉妹、そしてそれを導いてくださる先生方が教会においても職場での働きにおいても、積極的な姿勢を見せてくださるからこそ、私自身も迷わずに自らも多く教会や仕事においても多く働きを成すことができていると感じております。
救われてから10年、このような私をも神は教会の働きを成すもの者へと導いてくださいました。神への愛を尚感じながら、感謝を働きとしてあらわし続けられる者として歩み続けていきたいと願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)