同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— しもべの働き —

齊藤 望


「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。私はあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金を私から買いなさい。また、あなたの裸の恥を表さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」(ヨハネの黙示録 3:17-18)

  「主キリストの僕」と題して毎週講壇からメッセージが成され、主人であるキリストと僕なる私たちの関係を聖書中の出来事を通して紐解いてくださっています。
先月末、教会創立70周年を記念し特別な集会がもたれました。写真を通して創立当時から現在までの教会の沿革や音楽を通して教会の伝道の変遷についてプログラムが用意され幸いな集会でした。
 その集会の中で私が思い出したのが新会堂の建設時以前の両親のことでした。まだ両親たちは同じ教会に通っている信者で母は夜学生(昼はカバン屋勤務)18歳位、父は事業を始めたばかりの24歳位の時のことです。
 両親が新会堂(現在地の最初の教会)に捧げて献堂式をしたのが1955年でまだ二人ともに20代でした。両親はまだ結婚する前であり、教会で救われて間もないころ(2,3年)でした。
 会堂の建設のために母は同世代(10代後半、20代前半)の教会の友人と共に仙台市中央部の商店街に趣意書を持ち一軒ずつ訪問して献金を募り、また父は事業(豆腐屋)を始めたばかりでしたが献金を捧げることに喜びを感じ会堂の完成と自分の事業の安定を願い会堂献金をしたそうです。 父は生涯にわたり、事業の安定にとって献金することは大切なことだと話しておりました。このことは亡くなるまで変わることはありませんでした。
さらに初代牧師の小嶋先生は仙台市長に面会を求め仙台市民には教会が必要であることを説明し、ここに教会が建つ事の意義を陳べて賛同を得たようです。
 会堂建設献金のために多くのチームが作られ(2、3名ずつ)趣意書を持ち献金の依頼をし、献金を集めていったそうです。教会に戻り、皆で情報の交換をしているときに仙台の老舗の肉屋さんが多額の献金をして下さり何度でも来なさいと言って下さったことに非常に感謝し何度も訪問し、またほかのチームも同じように訪問していたことに驚きと感謝をもってお祈りをしたそうです。
 当時の活動の中心は救われたばかりの若い信仰者で皆がキリスト教とは無縁の環境から救われた方々でした。その他にも教会には事業をなさっている方々もいて大きな支えとなって下さったと聞いていました。
この頃の話をする両親は生き生きとして当時を思い返し、楽しくてドキドキした時代だったと話してくれました。
 教会で救われたばかりの若い兄弟姉妹らがここに宝があると信じて、教会の会堂建設のための募金活動、親、兄弟、友人たちに信仰を証して教会に導いてくる熱心さを思うときに“主キリストの僕”という講壇の説教題が脳裏に浮かんできました。山本嘉納牧師のメッセ―ジの中で固定観念、思い込みからの解放、非常識ということが語られていました。
 今になって当時の救われた方々の行動を考えてみるときに彼らは罪の奴隷から解放されると同時に既存の固定観念や思い込みからも解放され、さらに非常識なまでに伝道活動に励んだことが感じられキリストの僕として仕えていたことが分かりました。荒削りな信仰だけどすごい熱を持っているとも感じました。
子供のころ毎日聖書を読む父と比べほとんど読んでない(私の前で)母に尋ねたことがありました。
「お母ちゃんは聖書をよまないの?」母の答えは「お母ちゃんは読まなくても大丈夫、お父ちゃんと先生(光明牧師)が読んでいるから。何か困ったことがあれば先生に聞けばいいのだから。」でした。
 今は違う教会に通っている母ですが当初の姿勢に変わりはなく、「神様が守ってくれているし先生に祈ってもらえば心が落ち着くから大丈夫。」といい元気に過ごしています。
 今日新しい教会の建設を模索している私達ですが、私自身も教会の意義をしっかりと考え、祈り待ち望んでおります。 「人の子は、失われた人を探して救うために来たのです。」(ルカ 19:10) ここに僕の働きがあると信じています。

(仙台聖泉キリスト教会会)