同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖書信仰-16 —

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテⅡ 3:14-17)

 ダビデが活動をはじめる最初の時点で、神を信頼する義の訓練を受けたことをとりあげましたが、それがゴリヤテとの戦いを皮切りに長く続いたペリシテ人との戦いに、神を信じて進む力となりました。
 彼の生涯には長く義の訓練がありました。
  彼はサウルに妬まれて、彼を殺そうと迫るサウルによって義の訓練を受けました。ダビデは最初にノブという町の祭司アヒメレクのところに行き、祭司しか食べてはならないパンとゴリヤテの剣をもらいました。それが、ノブの祭司がサウルに皆殺しにされる原因となりました。アヒメレクはサムエルを育てた祭司エリの子ピネハスの子アヒトブの子で、エリのひ孫です。その子エブヤタル一人だけが逃れてダビデのところにゆき、祭司として長くダビデのために主のみこころを確かめる仕事をしました。彼はソロモンによって祭司の職から罷免されて、エリについて語られた主の預言(サムエル記Ⅰ2:27-36,3:11-18)が成就した人物です。(列王記Ⅰ2:27)
ダビデがアヒメレクから祭司しか食べてはならないパンをもらって食べたことをイエスが引用しておられます。(マタイ 12:3-4)
ダビデにとって自分が立ち寄ったことが祭司の町を皆殺しにさせてしまう原因となったことをどんなに辛く思ったことでしょう。それも彼が学ばなければならない義の訓練のひとつでした。
 ダビデはアヒメレクのところに行ったその日のうちにペリシテ人ガテの王アキシュのところに行きましたが、アキシュの家来たちは「サウルは千を打ちダビデは万を打った」とイスラエルの女たちが歌ったことを知っていてダビデが本当にサウルの追跡から避難してきたのか疑いました。それを察知して彼は狂人の振りをしてガテのペリシテ人たちから逃れました。
このとき彼はペリシテ人のもとは逃れる場所にならないことを学ばなければなりませんでしたが、それに徹することができませんでした。
 彼は神の助けによって何度もきわどい困難を乗り越えたのです。たとえば、ジフ人がソウルにダビデが自分たちのところに隠れていることを密告し、サウルが出陣してきたときには、ペリシテ人が国に突入してきて、サウルはそれを迎え撃ちに戻らなければなりませんでした。それによってダビデは危機を逃れたのです。
ナバルの妻であったアビガイルはそれらを読み取っていて彼にそのことを告げていました。
「主は必ずご主人さま(ダビデ)のために、長く続く家をお建てになるでしょう。ご主人さまは主の戦いを戦っておられるのですから、一生の間、わざわいはあなたに起こりません。たとい、人があなたを追って、あなたのいのちをねらおうとしても、ご主人さまのいのちは、あなたの神、主によって、いのちの袋にしまわれており、主はあなたの敵のいのちを石投げのくぼみに入れて投げつけられるでしょう。・・」(サムエル記Ⅰ 25:28-29)
 サウルはダビデが自分を殺そうとしていないことを知って、「私が悪かった」と何度もいいましたが、すぐそれを忘れダビデを殺そうと追跡をはじめるのでした。やがて彼は神の助けを受け、サウルが「悪かった」と言った直後に、
「ダビデは心の中で言った。「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエルの領土内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。」」(サムエル記Ⅰ 27:1)
このままでは早晩サウルの手に陥ると考えて、自分が滅ぼさなければならない相手であるペリシテ人の王のひとりナハシュのところに保護をもとめました。彼はそうしなくても神の保護のもとあったのです。
彼はサウルによる義の訓練を終わりまで耐え抜くことができませんでした。
 ナハシュのもとで彼は、イスラエル人に恨みを買うようなことをしている振りをして、ナハシュを欺きつづけました。それで彼はペリシテ人の軍隊に加わってイスラエルと戦うはめに陥りましたが、このときもナハシュ以外のペリシテ人の首長たちは、ダビデを疑い、またしても、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と歌われた人物ではないか、と言ってダビデをイスラエルとの戦争に参加させませんでした。これは神の彼に対する憐れみ以外のなにものでもありません。
 その戦争は、サウルの死の戦争となりました。その間に彼がナハシュからもらった町ツィケラグがアマレク人に襲われ、これは神が彼を回復させなさった手段でした。
その困難に陥ったとき彼は、「ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」(サムエル記Ⅰ 30:6)のでした。それによって彼は信仰の人に立ち返ることができたのです。

 サウルが死んで、彼はまずユダ族の王になりました。イスラエルの歴史をみるとき、王ほど誘惑にあう職業、地位は他になさそうです。その誘惑は義の訓練の場になります。
 王になると彼は多くの妻を持ち始めました。それは神が禁じておられることです。
「王は、・・・多くの妻を持ってはならない。」(申命記 17:16-17)
このことについては、聖書はその事実を告げているのみで何も語っていませんが、息子たちの争いにその結果があらわれています。
 次に彼は、イスラエル全部族の王となる画策をしました。その手始めは、サウルの娘ミカルを妻として取り戻すことでした。
それは「サウルの婿」の地位を持って、サウルに付いていた人々を納得させようという魂胆でした。サウルに殺されたアヒメレクがダビデのことを、サウルに「王(あなた)の婿・・ではありませんか」と言っているとおり、サウルについていたひとびとには重要なことでした。しかし、それはサウルについていた人々を取り込む「この世的な」手段です。
 サウルの娘ミカルは彼の最初の妻でしたが、父に強制されてではあっても、彼のもとを去り、ほかの男の妻となったのです。ですから彼はミカルをもう一度妻とすべきではありませんでした。それは律法に反することです。(申命記 24:1-4)その結果、彼は自分の家庭のなかに、自分を敬うのではなく、自分を蔑むひとをおいておくことになったのです。(サムエル記Ⅱ 6:16)
 彼はこの世的な手段によらずサウルの死によってユダ族の王位についたのと同様に、神がことを展開してくださるまで待つべきでした。
 政略結婚は、後にイスラエルの王アハブがイゼベルを娶った例や、ソロモンがエジプト王パロの娘を娶った例に、それがもたらすものが何であるかが示されています。
 ダビデは結婚の問題について、ウリヤの妻バテシェバの件で、本当に痛い目を見るまで義の訓練を終えるには至りませんでした。
 彼はバテシェバの件で、自分のこころがどのようなものであったか、いかに汚れたものであるか、思い知らされました。彼は行った罪を悔い改めたことに止まらないで、きよい心を求めました。
「 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。
・・・
ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。 そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
・・・
神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
・・・」 (詩篇 51:1-11)