同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 感情の共有 —

山田 保

「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ 12:15)

2021年は様々な出来事があり、悲しみに暮れることや、希望を抱くことなど、気持ちの変化が激しい一年でした。
新しい2022年、私は4月で社会人5年目を迎えようとしています。会社からはそろそろ中堅社員としての責任感を求められ、時に厳しいことを多々言われます。最近の会社の研修では、社会人として仲間の成長にどのように関わることが出来るか、実際に体験する学びがありました。その内容の一つは、自分が感じたこと、気付いたことを相手に率直に伝えるというものでした。例えば、「私はあなたの〜な言動にイラッとします。」とか「〜さんのさっきまでの表情と今の表情で目つきが違います。」などということをお互いに伝え合うのです。但し禁止行為があり、「良い」「悪い」は言ってはいけないとのことでした。それは、伝えた方ではなく、伝えられた方が良いか悪いかを判断し、改善するかしないかを自分で決めるためです。また、「多分」や「恐らく」という曖昧な表現は、相手の成長よりも自己を防衛していると見なされ、厳しく注意されます。こうした内容の訓練で、いかに相手の感情を揺さぶっていくかを考えさせられました。こちらの言葉によってムッとしたり、ドキッとすることによる相手の成長があり、それに対して抱いた感情を言い返されることで自分の感情が動き、こちらの成長にも繋がることがわかって来たからです。
このようなことは身近で経験があるな、と感じて思い返してみると、昨年3月に天に召された祖父、山本光明先生の顔が浮かびました。光明先生は私に「君は何か言おうとする度に『あっ』というね」とか「君は黙って黙々と食事をするね」という風に具体的に指摘し、私がドキッとさせられることを数多く言ってくださいました。嘉納先生も説教の中で、時に相手を逆撫ですることも必要であるというようなことを言っておられました。何もない平凡な時よりも、イラッとしたり、ドキッとしたり、悲しんだり、喜んだり・・・感情が動く時こそ、本当の信仰者としての成長のチャンスなのだと教えていただきました。
人として地上に来られ、人格を、感情を持つお方であられるキリストが、昨年私に語りかけてくださったのは、本当に愛する隣人が泣いている時に共に泣き、喜んでいる時は共に喜べるか、本当に主であるキリストと価値観を共にし、感情を共有できるかということでした。新しい2022年も主キリストと共に歩み、本当の信仰者として成長していけるよう祈り、努めて参ります。 

(仙台聖泉キリスト教会 会員)