同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(21) —

野澤 睦雄


「神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」」(創世記 2:15-17)
「さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」(創世記 3:1-6)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 ・人間の堕落

 人間を誘惑したのは蛇でしたが、サタンが蛇に乗り移ってやってきたのでしょう。
 標的になったのはまず女でした。
 サタンは質問を用いて誘惑の糸口にしました。そして女が神のご命令を不正確に記憶している点を引き出しました。
神は「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と言われたのですが、女はこう答えました。
「食べてはならない。」
「触れてもいけない。」
「死ぬといけないから。」
サタンはすかさず
「あなたがたは死にません。」 「それを食べるその時あなたがたの目が開け」「あなたがたが神のようになり」
「善悪を知るようになる。」
と言いました。
女がそのことばを聞いて「その木を見る」とその木は、
「まことに食べるのに良く」
「目に慕わしく」
「賢くするというその木はいかにも好ましかった」
のでした。
「それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」
のでした。こうして彼らは神の「善悪を知る知識の木から食べてはならない」と言われた神の命令に背き、罪あるものとなりました。
これが人間の堕落のいきさつです。

・堕落の結果
<人霊の死>
 人間は、霊、たましい(こころ)、体からなるものとして造られましたが、神が言われたとおり人間の「霊」は死にました。
 サタンが「死にません」といったのは「体」のことで、体は死にませんでした。

<全的堕落>
 人間の霊は「神のかたち」に造られたのですが、堕落によって「サタンのかたち」になりました。これが、「古いひと」、「原罪」と呼ばれるものです。
 この「古いひと」はその行いが絶えず「悪に傾く」ので、「全的堕落」と呼ばれます。

<全的堕落の子孫への継承>
 堕落は、子孫に受け継がれました。
「アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。」(創世記 5:3)
堕落によって、アダムはサタンのかたちをもつものとなったので、アダムのかたちはサタンのかたちです。そのかたちをもった子孫が生まれました。これが人間のもって生まれる「原罪」です。

<子孫に示された堕落の結果>
 堕落の結果は生まれた子によってたちまち証明されました。
「人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。」 (創世記 4:1-8)

 人間は堕落し、罪を犯すものとなったので救いを必要とするものとなりました。

(仙台聖泉キリスト教会員)